白い翼 <ダイサギ> [野鳥]
遠い空を目指す
たとえ雲に覆われた
灰色の空でも
あの雲を越えたら
一面の澄んだ青に
きっと辿り着ける
心の翼を開いて
風の中へ羽ばたく
たとえ哀しみに包まれ
傷付いていても
あの空に向かう
想いの熱さがあれば
きっと明日は訪れる
10月9日の記事にも載せた「ダイサギ」です。
随分久し振りに、飛んでいる鳥の写真を撮ったような気がします。
或る秋の日の午後に <ダイサギ> [野鳥]
たゆたうように過ぎ行く時間
ためらうように踏み出す一歩
柔らかな光に包まれて行く
ひっそりとした秋の日の午後
風は限りなくやさしく
悲しみを吹き払って行き
青い空はどこまでも高く
そして遠く澄みきっている
ゆったりと穏やかな心で
この果てしないほどに深い
秋の日の静けさの中を
たった一人で歩いて行こう
旅立つ日まで <ツバメ> [野鳥]
つばめさん、つばめさん、小さいつばめさん、ひと晩だけわたしのところにいて、使者になってくれない?
あの男の子は、のどがからからになっているし、母親は心から悲しんでいる。
オスカー・ワイルド 『幸福な王子』 より
西村孝次 訳 新潮文庫版
ツバメと言うと、僕はオスカー・ワイルドの童話 『幸福な王子』を思い出します。
『幸福な王子』の像は、街に暮らす不幸な人々を見過ごすことが出来ず、自らの身を飾る金箔や宝石を、一羽の小さな燕に託して、貧しい人たちに贈ります。
燕は、最初は少し反発しながらも、 『幸福な王子』の使者として、人々を救うために力を尽くしました。
ツバメ 燕 スズメ目 ツバメ科
今回の記事の写真は、南房総市の「道の駅」で、4月から8月にかけて撮ったものです。
とは言っても、月に一度の所用があって、土曜日か日曜日に南房総市に出掛けた際に、ほんの短時間その道の駅に立ち寄るだけですから、僅かにその時その時のツバメの姿を捉えただけの写真に過ぎません。
また、この道の駅には、沢山のツバメの巣があります。
ここに載せた写真は、その都度に、上手くツバメが居て、写真を撮り易い状態の巣を狙って撮っています。
ですから勿論、同じツバメの成長記録というわけでもありません。
最初の三枚目までは、4月27日(日)に撮った写真です。
この頃のツバメは、漸く産卵を終えて、未だ卵を抱いている状態ではないかと思います。
5月24日(土)
まだ幼い、子供のツバメは、大きな口を開けて、親鳥に餌をねだっているようでした。
6月22日(日)
5月時点と比べれば、雛たちは相当活発に餌をねだっています。
「道の駅」の建物の、謂わば軒下のような場所に巣を作っています。
ですから、どうしても光が回らず、必然的にシャッター速度も遅くなります。
その為に、親鳥の羽ばたく速度に、カメラのシャッター速度が追い付かず、このようなちょっと面白い写真になりました。
7月12日(日)
すっかり大きく育ったツバメの雛。
でも未だ、親鳥の運んで来る餌を待っているようです。
8月16日(土)
この頃になると、もう多くの巣には雛の姿は見えません。
途中の道路などに、ツバメが集団でいるのを、何度か見掛けましたし、この道の駅でも、沢山のツバメが空を飛び交っていました。
おそらくは、幼いツバメたちも、大人のツバメに交じって、飛ぶ練習をしたり、餌を採る術を学んでいる最中なのでしょう。
でも何故か、この子ツバメたちは、巣にとどまっていました。
まだ、巣立つには早い幼鳥なのでしょうか?それとも、ただ休んでいるだけなのでしょうか?
どちらにしても、十月頃までには、遠い国へ向かって、初めての旅に出て行かなければなりません。
『幸福な王子』の物語の中の燕は、王子の像を助けて、遠いエジプトへ向かう旅を諦め、王子の足許に落ちて息絶えてしまいます。
「わたしが行くのはエジプトではありません。死の家へ行くのです。死は眠りの兄弟です。
そうじゃありませんか?」
そしてつばめは幸福な王子のくちびるにキスすると、王子の足もとへ落ちて死にました。
オスカー・ワイルド 『幸福な王子』 より
西村孝次 訳 新潮文庫版
その時、王子の鉛で出来た心臓は、音を立てて二つに割れました。
すべての装飾を失い、みすぼらしい姿となった「幸福な王子」の像は炉に投じられて溶かされ、
何故か溶け残った鉛の心臓は、燕の死骸とともに打ち捨てられてしまいます。
神様が、町の中で、最も尊いものを二つ持って来るようにと、天使に命じます。
天使が持ち帰ったものは、壊れた心臓と、燕の死骸でした。
この物語を最初に読んだのは、何時のことだったのか…。もう、思い出すことも出来ません。
そのラストシーンの、キリスト教的な救済の在り方は、日本人であって、しかもキリスト教徒でない僕にとっては、本当には理解出来ないかも知れない、生と死の価値観です。
尤も、ワイルドの『幸福な王子』だけではなく、アンデルセンの『人魚姫』や『マッチ売りの少女』などにも、そうしたキリスト教的救済が描かれています。また、アンデルセンの童話の中には、キリスト教的な救済の在り方が、とりわけて顕著に描かれた『赤い靴』という作品もあります。
それなのに何故か、子供の頃から繰り返し読んだそれらの物語は、日本人であって、しかもキリスト教徒でない僕の心までをも、しっかりと捕らえているようです。
参考図書
絵解きで野鳥が識別できる本 (BIRDER SPECIAL)
- 作者: 叶内 拓哉
- 出版社/メーカー: 文一総合出版
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
旅立ちの季節 <スズメ> [野鳥]
スズメ 雀 スズメ目 ハタオリドリ科
こんなにも、まん丸な目をした、可愛いスズメが撮れたのは、とても久し振りなような気もします。
最近、思うように写真を撮る時間が取れず、些かストレスが溜まっていました。でも、先日の土日に、前の記事にも書いた通り、何とか時間を工面して、家の近くでだけですが、少しだけ写真を撮りました。
その時、スズメやカワラヒワ(と思われる)鳥を、撮ることが出来たので、少しだけ気分が楽になれたように思います。(カワラヒワと思われる鳥は、何れまた載せることにします)
金網の柵の上に、二羽のスズメが止まっていました。
番(つがい)でしょうか?
でも、右側のスズメは少し小さくて、羽の色合いも、些か淡いようにも見えます。
ちょっとだけ、こちらから見易い位置に顔を向けてくれました。
良く見ると、嘴が黄色いようです。
スズメの成鳥は、嘴が黒いので、右側のこの鳥は、どうも幼鳥のようです。
つまり、この二羽のスズメは親子だったと言うことです。
僕は、このブログの「写真漫画」と名付けたカテゴリーの中では、動物や鳥たちのしぐさに対して、勝手な想像(或いは『妄想』)によって、それらしく思えるような「会話」を拵えては、記事を書いて来ました。
でも、このスズメの親子の様子を見ていたら、何だか本当に、ちゃんとした「会話」をしているように思えて来ました。
「ほら、飛び立つ時は、こうやってね、身体を少し低くして・・・」
親鳥は、本当にそんな話しをして、子供にこれから生きて行く術を教えているような、そんな風に見えて来さえします。
親スズメは、お父さんなのか、お母さんなのか。そして、子スズメは、その息子なのか娘なのか・・・。
残念ながら、それは僕には分りません。
そしてまた、スズメの親子が、実際にはどんな方法で、どんな会話を交わしているのかも、勿論のことながら、僕の想像の域を、遙かに超えてしまっています。
いえ、僕だけでなく、人間には到底分らない領域であるのかも知れません。
けれども、スズメたちの様子を見ていると・・・。
「飛ぶ時には、決して怖がってはいけないよ。恐れることなく、翼を広げて飛んで行きなさい」
僕には、親スズメが、確かにそう言っているように思えました。
子スズメは、まだちょっと頼りなげですが、優しい親スズメに守られて、きっと元気に育って行くことでしょう。
こちらは、スズメの親子がいた場所から、ほんの少し離れた、雑草の生い茂る場所。
そこでは、スズメたちが草の中を飛び跳ねていました。
小さなスズメの体重さえも支え切れないような、まだ若い草に飛び乗って、スズメは何をしているのでしょうか?
ここには写ってはいませんが、草の中から飛び立つスズメが、緑色の昆虫の幼虫のようなものを、嘴にくわえている様子を、僕は確かに目にしました。
これはまた、更に別の場所にいたスズメです。
このスズメも、クコの葉の上の、白っぽい小さな芋虫のように見えるものに、ちょこっと関心を示したようです。
しかし、結局はすぐに目をそらせてしまいました。
クコの木が生えている場所は、急な斜面の上であり、簡単には近づける場所ではなかったので、葉の上の白っぽい物が、本当に芋虫なのかどうかは、確認出来ませんでした。
でも写真を見ると、確かに芋虫のようですが、そうではないのかも知れません。
ただ、どちらにしてもこのスズメにとっては、残念ながら興味の対象外だったようです。
餌を探しているスズメは、生い茂った夏草や、灌木の茂みの中で、曲芸のような仕草をいっぱい見せてくれました。
あの、まだ頼りなげに見えた子供のスズメも、やがてはこんな風に、しっかり自力で餌を探して、逞しく生きて行ける、立派なスズメになる日が来ることを、祈りたいと思います。
追伸:
前回の記事に、ちょっと体調を崩してしまったことを書いてしまったため、皆さんに余計なご心配をお掛けしてしまいました。
ご心配下さった皆さん、本当にありがとうございました。
お陰さまで、今は何とか元気にしておりますので、どうぞご安心下さい。
スズメの記事を書くと言う予告に、期待をして下さった皆さんにも、とても感謝しています。
期待を裏切らないことを願いながら、少し枚数が多くなりましたが、撮って来たスズメの写真の、ほぼ全部を載せることにしました。
因みに、その写真の枚数は、泉鏡花のスズメを題材にした短編「二、三羽――十二、三羽 」のタイトルを些か意識してしまった結果かも知れません。
青い花が咲いたら [野鳥]
オオイヌノフグリの、小さな青い花が咲いていました。
この花が咲いたら、もう春です。
待ち遠しかった春の訪れに、小さなスズメもはしゃいでいるのでしょうか。
飛び跳ねながら、嬉しそうに遊んでいます。
おや、こちらでは二羽のスズメが、楽しそうに、お喋りしているみたいです。
こちらは、さっきのスズメ。
マンホールの蓋の上で、思いっきりジャンプ。
このスズメは、可愛い青い花を見ているのでしょうか。
いいえ、何かを探しているみたいですね。
お、あったぞ。
美味しそうな草だ。
頂きま~す。
こっちでも、何か食べていますね。
この草は、スズメノカタビラのようです。
帷子(かたびら)と言うのは、一重の布や、一重の衣類のことです。
それをスズメが食べるなんて、ちょっと面白いですね。
スズメの嘴には、食べ物の屑が、いっぱい付いています。
こんな草の中には、スズメの食べ物がいっぱいあるのでしょうか。
小さなスズメが食べ物を探すのは、なかなか大変なことのような気もします。
それでも、今は春。
さまざまな草が萌え出て、草にも木にも、甘い蜜を持った花が咲いて、陽射しも柔らかくなる頃。
オオイヌノフグリの可憐な青い花が咲いたら・・・。
季節は、もう春です。
赤い瞳 [野鳥]
何だか、酷く寒い日が続いています。
1月17日には、こちらでも初めての雪が降りました。
夜更け頃に、細かい雪が降り出したことに気付いたので、このまま降り続かなければいいと思っていたのですが、朝には止んでいました。
僅かに残った雪も、日の出と共に既に融けはじめたようでした。
赤い実を付けたセンリョウの葉にも、融け残った雪が載っています。
白い雪と赤い実。
何となく「雪うさぎ」を思い浮かべてしまいました。
(尤も、「雪うさぎ」の目は、普通は南天の赤い実を使います。耳には、南天の葉を使うので、その方が都合もいいからでしょうね。)
本当のところ、どの種類のウサギもが、赤い目をしている訳ではありません。
赤い目を持っているのは、白い「イエウサギ」で、これは目の虹彩に色素が無い為、血の色が透けて見えているのだと言うことです。
動物の仲間に、他に赤い目の種類がいるのかどうか、僕は寡聞にして知りませんが、鳥の仲間では時折見掛けることがあります。
例えば、ゴイサギがそうです。
また、カモの仲間のホシハジロや、オオホシハジロのオスも赤い目をしています。
(写真は、オオホシハジロです)
そして、1月6日。
久し振りで母の墓参に行った際に、習志野海浜公園の海に注ぐ澪の水面に、やはり赤い目の鳥がいました。
僕にとっては、初めて見る鳥でしたが、それでもカイツブリの仲間であろうことは分かりました。
潜水の得意な鳥らしく、素早く水に潜ると暫くは上がって来ません。
それは、お馴染みのカルガモなどより、かなり小さな水鳥でした。
それにしても、凄いほどの赤い目ですね。
家に帰って、撮って来た写真と数種類の図鑑とを見比べて見ると、どうも「ハジロカイツブリ」の冬羽のようです。
ただ、とてもよく似た鳥に「ミミカイツブリ」と言うのがいて、図鑑の写真によっては、とても判別が付きにくいものもありました。
しかし、そんな時にいつも頼りにしている「絵解きで野鳥が識別できる本」に書かれた特徴にあてはめて、「ハジロカイツブリ」と判断しました。
大きさは、全長が33cmということですから、60cmほどあるカルガモと比べても、小さな鳥であることはよく解ります。
小さな水鳥は
冷たい水の中に
素早く潜り
暫く間を置いて
また浮かび上がる
繰り返し繰り返して
小さな身体を
水中に潜らせて
そうして魚を捕る
水鳥たちにとっては
それが生きること
水中から浮かび上った
小さな水鳥が
その水面に刻む
大きく鮮やかな波紋
それは小さな生命の
確かな存在証明
ハジロカイツブリ カイツブリ目 カイツブリ科
前回、「再開します。」などという記事を書いておきながら、またしても随分間が空いてしまいました。
その間に、皆さんから頂いた、暖かく優しいコメントに、胸が熱くなる想いが致しました。
本当に、ありがとうございます。
お蔭様で、父のリハビリも順調に進んでいる様子です。
また、僕がブログを始めた頃からの、ブログ仲間であるナナさんから、ご結婚をされるという内容のコメントを頂き、とても素敵な出来事だと、嬉しく思っております。
まだ、寒い日々が続いていますが、やっぱり春は近付いていると、そんな想いが心を過ぎって行きました。
参考図書
絵解きで野鳥が識別できる本 (BIRDER SPECIAL)
- 作者: 叶内 拓哉
- 出版社/メーカー: 文一総合出版
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
野鳥のいる風景 [野鳥]
今年の秋。庭の柿の木には、例年に比べると、あまり多くの実がなりませんでした。
収穫の時、幾つかの実には、既に鳥がくちばしでつついた跡がありました。
そこで、そうした実は穫らずに、木に残したままにして置きました。
その後の休日に、僕の部屋の窓から外の柿の木にふと目をやると、その柿の実をスズメが啄んでいました。
急いでカメラを取り出して、シャッターを切りましたが、数枚を撮らせてくれただけで、あっというまに飛び去ってしまいました。
でも、諦めずに待っていると、次にはメジロがやって来てくれました。
あの時、鳥がつついた跡に気付いて、枝に残しておいて良かったと思えるひと時でした。
メジロは、ツバキなどの花の蜜を上手に舐めるための、細い舌を持っているということは、図鑑の解説などで読んで、知っていることではありました。
ですが、本当にこんなに細い舌であることを確認出来たのは初めてでした。
これも、庭にあるナツメの枝に止まったメジロです。
比較的に良く見掛ける小鳥ですが、写真に撮れたのは久し振りのことでした。
野鳥と言えば、僕にとって今一番馴染み深いのは、やはりカルガモです。
近所の公園(習志野市・森林公園)の池にいる、カルガモたちは、僕にとってなんとなく愛おしい存在と言えます。
そんなカルガモの池には、秋になると数つがいのマガモも訪れます。
マガモのメスは、オスよりも地味な翅の色ですが、何となく可愛くて優しそうで、僕はこちらの姿の方が気に入っています。
マガモがやって来ても、やっぱりこの池の主役はカルガモたちです。
水面採餌をするカルガモ。
こうやって、水面に浮いた水草の葉や草の種子、それに小さな虫などを食べている訳ですが、僕には何だか遊んでいるようにも見えてしまいます。
紅葉した木の葉を映して赤く染まる水面を、滑って行くカルガモ。
僕にとっては、深まって行く秋を感じるひと時です。
そして次は、久々のコサギです。
この美しい姿を見るとやっぱり、自分でも信じられないほどの回数、シャッターボタンを押し続けてしまいます。