野の仏 その三 如意輪観音 [石仏]
如意輪観音(十九夜本尊)
千葉県 印西市
宝暦12年 1762年 243年前
月待信仰の十九夜講での守り本尊
(二十二夜待の本尊としても祀られる)
如意輪観音も、女性による信仰が多いようですが、この像には、
男女三十三人による、建立であることが、刻まれています。
前の、子安観音は十五夜でしたが、こちらは月齢十九日の月の
夜に、集まって念仏を唱えて本尊を供養し、夜更けまで仲間同士
の語らいが続いたのでしょう。
この如意輪観音は、とてもやさしいお顔でした。
野の仏 そのニ 子安観音 [石仏]
子安観音(十五夜本尊)
茨城県 龍ヶ崎市
寛政5年 1793年 212年前
月待信仰の十五夜講での守り本尊
江戸時代には、十三夜から二十三夜までの、月への信仰が盛んに
行われていました。
これは、「月待(つきまち)」と呼ばれ、現在は十五夜だけが、
残っています。
月待は、講と呼ばれる仲間ごとに集まり、本尊に供え物をしたり、
飲食を共にしたりして、一夜を過ごしたということです。
子安観音は、十五夜の本尊として、出産や育児の祈願のため、女性
たちに信仰されていました。
この石仏は、二十三人の女性によって、建てられたことが、台座に
刻まれています。
おそらく、講による集まりによって、日頃のストレスを解消したり、
出産や育児の悩みを、語りあっていたのかもしれません。
野の仏 その一 [石仏]
馬頭観音
埼玉県 川越市
宝暦9年 1759年 246年前
多くは、馬の供養のために建てられました。
石仏と言うと、多くの人が「お地蔵さま」と思うようです。
しかし、実際には(少なくとも、関東地方では)お寺の境内や
比較的最近の交通事故の供養塔等を除けば、それ程多く
見かけることは無いように思います。
実際には、「青面金剛(しょうめんこんごう)」、そして
「如意輪観音」が比較的数多く見られます。
上の写真の馬頭観音」も、地域によってはよく見られるもの
ですが、下の「如意輪観音」の写真の右横に倒れかかって
いるような、文字だけの塔(文字塔)も多くあります。
如意輪観音
千葉県 八千代市
寛保4年 1744年 261年前
石仏としての如意輪観音は、出産や育児の安全
のため、十九夜の月待行事として、女性に信仰
されていました。