弁才天~妙音弁才天と宇賀弁財天~ [仏像]
上野公園、不忍池のほとりに、不忍池弁天堂が建っています。
この弁天堂は、江戸時代の初期、上野の山に寛永寺が建立された際に、不忍池を琵琶湖に見立て、琵琶湖にある竹生島の弁天堂を模して造られたお堂です
ここに祀られている弁才天は、竹生島から勧請された像であると伝えられています。
この弁天さまは、かなり以前に鎌倉のお寺から頂いて来た、粘土製の小さな像です。
本来は、裏面に願い事等を書いて、絵馬のように納めてくるものでしたが、あまり可愛かったので、頂いて帰って来て、本棚に飾ってあります。
弁才天は、妙音弁才天などとも呼ばれ、弦楽器の琵琶を手にした、このような姿に造られることが多く、芸能の神様として信仰されていることが多いようです。
また「弁財天」と書かれる場合には、福徳の神ともされています。
しかし、琵琶を抱いた二臂(にひ=二本腕)の像の外にも、八臂(はっぴ=八本腕)に、それぞれ武器を持った姿の像も、数多く作られています。
特に、奈良時代頃には「金光明最勝王経」という経典に描かれた八臂像が多く見られ、八臂像の方がより古い時代のものが多いようです。
弁才天は、神道の神社に祀られることも、仏教の寺院に祀られることもある女神さまですが、元々はインド神話に登場する神様で、仏教とともに日本に伝えられて来ました。
弁才天は、元の名をサラスヴァティーと言い、古代インドのサラスヴァティー河の女神でしたが、水との係わりで農耕神とされ、豊穣の神ともされています。インド最古の聖典である「リグ・ヴェーダ」には、「富を伴侶とする」などとも書かれていて、古代インドに於いても、福徳の神の要素があったと見られています。
上の図は、確か三十年ほど前に、新宿のデパートで開催されていた、ネパールの祭礼と仮面の展覧会を観に行った際に、買って来たサラスヴァティーの絵です。
和紙のような製法で作られた紙に印刷した絵で、花や鳥などを金泥で縁取っています。長い年月の内に変色してしまっていますが、ヴィーナという弦楽器を抱えた、四臂(よんひ=四本の腕)の姿に描かれているのは、確認出来ると思います。
日本では、七福神の中の一尊として、琵琶を抱えた「妙音弁才天」としての姿が、一般的には最も良く知られた姿であると思います。
しかし、日本には、前の記事「博物館に初もうで-トーハク-」にも写真を載せた「宇賀弁才天」と呼ばれる、謎めいた姿の弁才天が存在しています。
頭上に、老人の顔を持つ白蛇を頂き、剣と宝珠を持つという、特異な姿をしていますが、トーハク(東京国立博物館)の、この二臂の像もまた、「宇賀弁才天」としては、特異な作例であると言えるかも知れません。
本来の「宇賀弁才天」の姿は、八臂像として造られ、八つの手には剣と宝珠の他に、様々な武器を持っています。
上の写真は、一昨年の十一月に奈良へ行った時の記事に載せた、興福寺境内に掲示されていた、三重塔特別拝観の告知ポスターですが、この像が将に「宇賀弁才天」の姿です。
取り敢えず、像の部分を拡大して見ると、頭の上には鳥居があことが分かります。その中に見える顔が、人頭蛇身の「宇賀神」です。
「宇賀神」に就いては、仏教や神道などに関する辞典類を見ると、日本古来の穀物神である「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」から派生した神格とされていることが多いように思われます。
しかし、中世日本の宗教思想の研究者である、和光大学教授の山本ひろ子さんは、その著書『異神 中世日本の秘教的世界』の「第三章 宇賀神-異貌の弁才天女」(平凡社)に、次のように書かれています。
「たしかに「宇賀神」なる名称成立の背景を訪ね当てようとするとき、記紀にみえる食物の神との脈絡を問うことは不可避の作業といえよう。だが、本稿で縷々述べていくように、中世における宇賀神の諸形態は、それが決して「宇迦之御魂」(倉稲魂)などに還元しえないことを雄弁に物語る」と。そして「宇賀神とは何よりも、弁才天の一種、つまり造作され案出された弁才天であることを確認しておく必要があるだろう」と。
『異神』の著者は、宇賀弁才天に就いて書かれた、天台密教の五つの経典類を上げて論考を行っていますが、それらはすべて「偽経」であると言います。
本来、仏教の経典は、インドで編纂されたものが、中国に渡って漢訳され、日本にやって来たものです。しかし、中にはインドには原典となる経本が存在せず、中国あるいは日本で作られた経典があります。それを「偽経」と呼びます。
宇賀弁才天に関する経典は、中国にも存在しないもので、日本で書かれたものであると言います。つまり、宇賀弁才天自体が、日本で作り出されたと言うことになります。
その経典の一つには、「その形は天女の如し。頂上に宝冠有り。冠の中に白蛇有り。その蛇の面、老人の如くにして、眉白し」と宇賀弁才天の姿が描かれています。白蛇と老人と言うことに就いては、神は蛇体の姿で降って来るという考え方や、老翁があらゆる徳を表しているからではないかと言うことです。
また、別の経典では、宇賀神には「貧転与福」の力があると言い、宇賀神に祈れば、どんなに貧しい人も忽ちのうちに長者となることが、記されています。
つまり、宇賀弁才天こそが、「弁財天」として福徳を司る神なのであろうと言うわけです。
実際には、各寺院の弁才天で、「宇賀弁才天」の名で祀られているものを、僕は殆ど見た記憶はありませんが、財運の祈願を主な目的として祀られている弁財天の絵馬などに描かれた姿は、確かに宇賀弁才天であることが多いような気がします。
これは、昨年トーハクで開催された、ボストン美術館展の際にミュージアムショップで販売されていた、チケットフォルダーです。
原図は、明治十九年に描かれた、橋本雅邦の「騎龍弁天」の部分図ですが、これもまた、その姿は、紛れもなく宇賀弁才天です。
宇賀弁才天は、宇賀神王・宇賀神将・如意宝珠王等の様々な名を持っているそうですが、密教的な展開の中では、それらはすべて宇賀弁才天に収斂すると考えていいのかも知れません。
写真は、井の頭弁財天の参道にある、宇賀神の石像です。
江戸時代頃までは、このような形の宇賀神が、神社などにもよく祀られていたそうです。
この宇賀神もまた、宇賀弁才天そのものと言っていいようです。
三鷹市で建てた「井の頭の石仏群」という解説看板には、「石鳥居標石(宇賀伸)明和4年(1767)」となっています。実際の台座には鳥居の絵が彫られていますが、ここは明静山圓光院大盛寺という天台宗のお寺です。台座には「井之頭弁財天石鳥居講中」とありますから、謂わば神社の門である鳥居を、仏教寺院に建てようとしていたのか、或いは建てたのか、神仏混淆の時代のこととは言え、些か幻惑されそうな気分になってしまいました。
台座には、日本橋あたりの商家の名前が彫られていますが、両側面から背面まで、細かい文字でびっしりと彫彫り込まれていて、その信仰の篤さを物語っているようでした。
この石像自体は、信仰の対象として建てられたものではなく、弁財天を信仰する江戸の商人たちの記念碑のようなものだと思いますが、僕が、写真を撮っている短い間にも、若いお嬢さんを含む何人もの人が、宇賀神に手を合わせて、何かを祈願されていました。
ここは、写真で見る通り、駐車場のようになっていましたが、こんなに手を合わせて行く人がいるのであれば、もう少し何とかして欲しいと思ったのは、僕だけでしょうか…
何年前だったか、トーハクの弁才天を初めて目にした時、頭の上の人頭蛇身の姿から、すぐに宇賀弁才天と分かったのは、十数年前に山本ひろ子さんの『異神 中世日本の秘教的世界』を読んでいたからでした。その為、宇賀弁才天に就いては、少しは理解しているつもりでいました。
ですが、ブログの記事にするのはそう難しくないと思ったのは、間違いでした。
もう一度『異神』を読み直してみると、その世界観の複雑さに、どう理解したらいいのか分からなくなってしまいました。
日本の中世と言う時代と、天台の密教思想、そして神仏習合の神祇観、それらが宇賀弁才天という不可思議な尊格を作り出したと言ってもいいのかも知れません。
「死の香りに満ち、来世がこの世に嵌入しているとおぼしい中世にあって、この偉大なる「福徳の尊」「決定貧転の主」は、おそるべき絶対肯定の宗教思想とその実践法を、メッセージとして今にさし向けるかのようだ。美しい天女と、達人というべき老翁と、白くうねる龍蛇と、そして幼い龍女をも含めるなら確かにここには、"すべて"が出揃っているではないか。
経典中の妙音弁才天を尻目に、いな、その本性をも収奪しつつ、龍蛇と稀有なる合体を果たした異貌の弁才天女。かかる宇賀弁才天もまた「異神」の系譜に連なり、中世信仰世界の底知れぬダイナミズムをこの今に突きつけている。」
『異神』の著者山本ひろ子さんは、そのようにこの論考を結んでいます。
弁才天の縁日は、巳(み)の日とされています。
今年の干支の癸巳(みずのとみ)の「巳」は、蛇を指しますから、弁天様は水神として祀られることからも、蛇との係わりは強いようです。
『日本神祇由来辞典』(柏書房)という本の「弁財天」の項目には、蛇に関する次のような古川柳が載っていました。
弁天様だ殺すなと母はとめ
これは、民間信仰の中で、蛇が弁財天の使い、或いは化身と見られていたことを示しています。
井の頭弁財天でも、巳年に合わせて、十二年に一度の秘仏弁才天像の御開帳があるそうです。
期日は、四月の十三・十四・十五日の三日間だそうです。ネット上の情報に依れば、御簾の外から拝めるだけだとの話もありますが、取り敢えず拝観に出掛けてみたいと思っています。
そして、今日(2013年1月27日)は、癸巳(みずのとみ)年の最初の癸巳の日です。
僕は、神社やお寺、仏像などが大好きですが、必ずしも深い信仰心がある訳ではありませんし、運命だとか因縁だとかを信じることも、殆どありません。
ですから、たまたまこの記事を書き終えた日が、癸巳の日だったことは、偶然としか考えません。
でも、ちょっと面白いと思ったので、そんなことも書き記して置くことにしました。
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また、ブログの更新が滞ってしまいました。
然程、慌ただしい状況でもなかったのですが、父親の白内障の手術や、事前検査、事後検査等で、秋葉原の病院へ何度も通ったりしていました。
白内障の件では、十一月に手術をなさったという、きまじめさんから、術後のケア等についてコメントを頂き、とても嬉しく思いました。父も、そのコメントを拝見して、安堵感を持ったようです。感謝致します。
ただ、ブログの更新が滞ったのはそのせいではなく、何時にない酷い寒さと、今回の記事を完成させるために、『異神』という、些か難解で大部の本を、久し振りに読み返していた為でした。
例年になく寒い日が続いています。
どうか、皆さんも風邪などひかれないように、ご自愛下さいますよう、お願い致します。
参考図書
今回、参考図書として提示した本は、すべて新本は在庫切れのようです。
特に、『異神』は、ハードカバー版も文庫版も、中古品に定価の倍以上の価格が
ついているようです。
興味のある方は、図書館で探される方が良いかも知れません。
おはようございます^^
難しいご本を読まれて、ブログに解説いただいた弁才天、宇賀弁才天、弁財天。
しかし俗っぽいわたくしは『弁才天さん』はどうも用事がない《芸事の才能0》し
弁財天様のほうが用事がありそう^^ 宇賀弁財天さんと蛇は関係が深い。だから
蛇の皮をお財布に入れるとお金持ちになる《子供のころそんなこと聞きました》
と言うのだわ。
そんなことを考えました(__; すみません。
by mimimomo (2013-01-28 08:04)
宇都宮周辺は「宇賀神」姓が多く、いかなる意味かと思ってはいました。
この記事は知らないことだらけでとても勉強になりました。
井の頭公園には先日行ったばかり。知っていたら見に寄ったのになぁ。
上野は寄ることもあるでしょうし、そっちは見て復習できそうです。
by 春分 (2013-01-28 13:05)
芸能の神様といえば、妓芸天しかしりませんでしたが・・
弁天さまはある意味万能の神様なんですね。
道理で人気があるわけですね^^
by ぜふ (2013-01-28 23:42)
弁天様といえば、江の島の琵琶を抱えた弁財天しか頭に浮かばず、
その隣に並んででいるはずの「八臂弁財天」も気付かなかった有様です。
とても興味深く読ませていただきました。
私のつたない経験話、少しでもお役に立てたのでしたら、嬉しいです。
by きまじめさん (2013-01-30 23:57)
2枚目の弁財天の粘土像、持ち帰りたくなる気持ちが分かります^^。
by sakamono (2013-02-02 00:48)