桃の咲かない桃の節句 [季節]
三月三日の雛祭りは、桃の節句と言うことで、桃の花の写真を載せましたが、これは昨年の4月に南房総で撮ったものです。
桃の節句とは言うものの、それは本来旧暦の太陰暦(正確には、太陰太陽暦)での三月三日と言うことで、太陽暦に置き換えると、今年(2011年)のカレンダーでは四月五日が旧暦の三月三日に当たります。
今回の記事のすべての桃の写真を撮ったのは昨年の四月四日でしたから、やはりその頃が、桃の季節ということになるのでしょうか。
実際、地方に依っては今でも、旧暦で雛祭りの行事を行う所もあります。前の記事にも書いたビッグひな祭りの開催地の一つである長野県の須坂市では、旧暦に合わせ実施されるようです。
ところで、前の記事に初めてコメントを下さったやすこさんは、亡くなられたお母様への想いや、お母様のお雛様のことを書いて下さいましたが、家にも亡き母の形見の雛飾りが遺されています。
それは、多分大正の終わり頃から、昭和の初め頃に作られたと思われる、掛け軸に取り付けて飾る「押し絵雛」です。
母のいない現在、家には雛人形を飾るべき者は誰もいませんが、「一年に一度は箱から出してあげなければ、お雛様が可愛そう」と言っていた、母の想いを汲んで、そしてかなり痛みも激しくなっている古い雛飾りの虫干しの意味も込めて、毎年この時期には、仕舞ってある箱から出して、飾ることにしています。
かなり古いせいもあり、あちこち傷んでいますが、当面はこのままで、大事に保管しておいて、何時か修理する機会を得たら、修理したいと思っています。
因みに、この内裏雛の並び方は、現在の基本的な並べ方とは男雛と女雛の位置が異なっていますが、これはより古い形態の並べ方です。
桃の咲かない桃の節句
今回の記事のタイトルは、かなり以前に書いた「桃の節句」と言う記事に載せた、僕の書いた拙い詩の一節です。
その際、「桃の咲かない桃の節句」というフレーズを気に入って、ご自分のサイトに引用してくれた方がいたことを、少し後になって知ったという出来事がありました。その方とは、ネット上の交流も全くありませんでしたが、そんなことがあった為に、この一節が頭の片隅に残っていたのだと思います。
尚、最近検索をして見たところ、既にそのサイトは削除されているようで、見付けることは出来ませんでした。
優しい姿のお雛様は、本当はもっと暖かくなって、桃の花が咲き始める頃に、飾って上げた方がいいような気もします。
本当は、今回の記事には、内裏雛の並び方のことや、雛人形の歴史のことなどを書こうと思っていたのですが、何時の間にか時間がなくなって、とても三月三日には間に合わなくなってしまいました。
もしも、その頃までに書き上げることが出来たら、その頃…桃の花の咲く旧暦のひな祭りの頃に、母の形見の押し絵雛をもう一度箱から出して上げて、そんな記事を書いて見たいと思っています。
今の状況では、些か心許ない気もしますが、出来ればそうしたいと思って居りますので、その時にはまた、宜しくお願い致します。
押し絵雛、初めて知りました。
素敵なおひな様を見せて頂き、ありがとうございます!
by ゴーパ1号 (2011-03-04 01:32)
少し淡い色の桃だなぁと思っていたら、
白いのもあるんですね(@@)
実物も見てみたいです。
押し絵雛もはじめて見ました。大事にされてるんですね。。
by かっか (2011-03-04 06:56)
こんにちは^^
昔の押し絵雛、素敵ですね。多分一つ一つを手作りなのでしょうね。
桃の節句、合点がいきました。
by mimimomo (2011-03-04 11:22)
四月五日あたりが元々の桃の節句なんですね。
言われてみれば、古来からある季節の行事はみんなそうなのかも。
by sakamono (2011-03-05 15:58)
私のコメントを取り上げて戴いて、恐縮しています。
押し絵雛・・・美しく保存されていますね。
大切になさっておられたのがよくわかります。
私宅のお雛様は、着物の傷みが激しいようです。
大正時代のものですので、戦争をくぐって来ていますし、仕方がないのかもしれませんが。
私宅もやはり、向かって右にお内裏様、左にお姫様という飾り方でした。
ちなみに、母の祖先は近江商人です。
付属のように付いていた大きな、いちまさんのお人形は、
幼児であった私によっておもちゃになり、無残な姿にされてしまったそうで、
今はありません。
母の亡くなった年齢をはるかに超えてしまいましたが、
やっと桃の節句を落ち着いて迎えることが出来るようになりました。
美しい花の写真は、無断で私のパソコンの毎月のデスクトップにさせて頂いています。
ありがとうございます。
by やすこ (2011-03-05 23:22)