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我が憧れの阿修羅 -1- [仏像]

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 このブログのオリジナルのカテゴリーには、以前から『仏像』の項目を立ててありました。

 僕は、全般的にどの仏像も好きですが、中でも取り分けて心惹かれる仏像が、奈良・興福寺の『阿修羅像』です。
 そこで、何時か『阿修羅』のことを記事にしたいと思い『仏像』のカテゴリーを作って置いたのですが、なかなか思うような記事を書けず、ずっとそのままになっていました。

 しかし、この春。五十数年ぶりに、興福寺の『阿修羅像』が、東京へやって来てくれることになったことを機に、今度こそ阿修羅の記事を書いてみることにしました。

*尚、今回の記事の写真は、一枚目の「阿修羅展」のポスターを除いて、ここ7~8年程の間に、奈良・興福寺の周辺、及び東大寺の周辺で撮ったものです。

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 「阿修羅」とは、仏教の経典に見える一種の神格です。
 仏典の原典は、古いインドの言葉である「サンスクリット語」やその俗語形である「パーリ語」等で書かれていますが、その中で、「阿修羅」は「アスラ」と呼ばれています。

 仏典が、中国に渡って漢訳された際、「アスラ」は「阿修羅」あるいは「阿素洛」「阿須倫」などと音訳されました。また、阿修羅の「阿」を省略して「修羅」という言い方もされています。

また同時に「非天」や「無酒神」などという意訳もされています。

 

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 仏教の経典に取り込まれる以前の「アスラ」は、インド神話の神の一族の一つでした。
 現在伝えられているインド神話の中のアスラは、インドラ神(仏教では「帝釈天」)を代表とするデーヴァ神族と対立する、鬼神あるいは魔類のような存在として扱われています。

 その為、仏典の中でも阿修羅は、元来は仏教を妨害する存在でした。しかし、仏陀の説法を聞く内に、その説くところの教えの素晴らしさに心を打たれ、逆に仏法の守護神となったのだと言います。

 仏典には、、仏陀の説法を聞く聴衆の中に、多くの菩薩や比丘(僧)、比丘尼(尼僧)、また護法神たちとともに、阿修羅の一族がいる様子が描かれることがあります。
 例えば、大乗仏典の一つである「法華経」には、その「序品(じょぼん)」に、

 また、四アスラ王と一緒に、幾千万億の従者のアスラもいた。すなわちバリンと、カラ=スカンダと、ヴェーマ=チトリンと、ラーフの四アスラ王と、その従者たちである。
                        岩波文庫版 法華経 上巻 「序品」より 坂本幸男・岩本 裕訳注

 と、記されれています。(本当は、漢訳の経典を引用しようと思ったのですが、それぞれの阿修羅王の名が、常用漢字の埒外にあるものが多いため、サンスクリット語の原典からの訳文を引用させて頂きました)

 この経典の文章を見ると、「阿修羅」あるいは「アスラ」という名は、一つの神格を表すものではなく、一つの神の一族の名であることがわかります。

 実際、興福寺の阿修羅像を見ていると、「阿修羅」の名は、たった一つの神格の固有名詞のように思われがちですが、インドの神話の中でも、「アスラ」は神の一族の名と捉えられています。

 

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 仏教の死生観に、「六道輪廻」という考え方があります。
 それは、生きとし生けるものは、死後も生まれ変わり、それぞれの生前の行いにより「天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」という、六つの世界に繰り返し生まれ変わるというものです。その世界の三番目に「修羅道」があります。
 そこは、闘争を事とする阿修羅の世界であり、前世で闘争を好んだ者たちが、死後に生まれ変わって行く世界と考えられています。

 日本の古典芸能の一つである「能」には、「修羅物」と呼ばれる多数の曲がありますが、その多くは「平家物語」や「太平記」等の、戦記物語から題材を採って作られた作品です。
 戦いに明け暮れていた源平の武士たちは死後「修羅道」に堕ち、そこで飽くことなく繰り返される闘争に疲れ、苦しんでいます。そこで、源平の合戦地などの旧跡を訪れた旅の僧の前に、亡霊となって現われ、生前の戦いの様子を物語った後、霊験のある経を読んでの回向を頼んで消えて行く。「修羅物」の能の多くは、そんな形式の物語です。

 仏教の中では、守護神となった阿修羅ですが、その住む世界では、果てしない闘争が繰り返されているというのが、昔の日本人の一般的な認識であったようです。「歌舞伎」などの演劇では、激しい戦いのシーンを指して「修羅場」と言いますが、それもまた、そうした認識によるものと思われます。
 
 このように、阿修羅とは闘争を好む鬼神であり、阿修羅道とは戦闘に明け暮れる世界と考えられていました。

 しかし、インド神話の世界でも、より古い時代には、サンスクリット語での「asura」の本来の意味は、「asu=生命」を「ra=与える」もの、であったと言います。
 しかし、時代が下ると「a=否定形の接頭語」「sura=神」つまり「神にあらざるもの」という解釈が生じて来ました。それは将に漢訳語の「非天」に通じる言葉と言えます。

 「リグ・ヴェーダ讃歌」と呼ばれる、古代インドの文献には、「ヴァルナ」という神が登場します。ヴァルナは「司法神」、つまり「裁きの神」であり、天の定めた秩序に背くものを、厳しく罰する神だったといいます。しかしまた、罪を悔い改める者には、寛大な神でもありました。
 「ヴァルナ」は、漢訳仏典の中では「水天」と訳される、水に関わりの深い神ですが、この「ヴァルナ」こそが、典型的な「アスラ」であったと言います。「アスラ」には「アスラ力(りょく)」という人を畏怖させるような特殊な力があり、「ヴァルナ」にもまた、そのような力があったと、「リグ・ヴェーダ讃歌」には記されています。

 

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 紀元前2000年以前、中央アジアで遊牧生活を送っていた、アーリヤ人と呼ばれる人々がいました。
 彼らは、紀元前2000年以降から定住生活を始めるようになり、一部は現在のインドの地域に定住をし始めました。
 そしてまた、別の一部は現在のイランに定住したと考えられています。

 その内の、インドに定住したアーリヤ人の神話の中で、初めは有力な神の一族であった「アスラ」は、時代が下ると共に神々と敵対する鬼神として捉えられるようになります。それには、裁きの神としての「アスラ」の峻厳な在り方が、影響したのかも知れません。

 しかし、イランに移住した人たちの間では、それとは違った形での神話が展開されて行きます。

 古代のイランでは、「ゾロアスター教」という宗教が、大きな勢力を持っていました。
 ゾロアスター教は「アフラ=マズダー」という、「光」或いは「火」の神を主神として崇めます。
 ゾロアスター教の教義は、善悪二元論を基本としていて、光、或いは火の神であるアフラ=マズダーに対して、「アングラ=マインユ」と呼ばれる闇を司る神格が存在しています。
 アフラ=マズダーは、常にアングラ=マインユと対立し、戦い続ける神とされています。
 実は、このアフラ=マズダーの「アフラ」こそが、インド神話の「アスラ」と同じ語源を持つ神の名なのだと言います。

 同じアーリヤ民族が、インドとイランとに別れて移り住んだ時、信奉する神の性格も大きく変容を遂げてしまったということでしょうか。

 しかし、実際のところ、激しく対立しているかに見える、「光」と「闇」とは、実は表裏一体のものであり、不可分な存在であるようにも思えます。

 また、「司法神」としての「ヴァルナ」に関して言えば、「裁く」という行為は、正義を行うという事である筈ですが、その裁きに関わるものの立場によっては、裁きそのものが、「正義」である場合もあり、また「悪」と感じられる場合もあり得るような気もします。 

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 遠い遠い昔、戦いの神であった阿修羅は、時に善なる神であり、また時には恐ろしい悪神でもありました。
 しかし、今から三千年程も前、釈迦に出会った阿修羅は、戦うことを止め、怒りや憎しみから離れようと心に誓って、正義も悪もない、安らかな心を取り戻そうとしたように思えます。

 僕が大好きな、興福寺の阿修羅像も、恐らくは胸の奥深くに、解決しきれない複雑な思いを秘めたまま、心の静けさを保ち続けようとしながら、じっと立ち尽くしているに違いありません。
 千三百年のあいだ、じっと静かに…。

 

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 因みに、「拝火教」とも呼ばれる「ゾロアスター教」の火を崇める風習が、古い時代に日本にも齎されていたという仮説を唱える人たちもいます。
 その一つの証拠が、奈良の東大寺・二月堂に伝わる「修二会」と呼ばれる行事だと言います。
 東大寺・二月堂の「修二会」は、「御水取り」とも呼ばれ、火を着けた大松明(おおたいまつ)を、お堂の中で振り回す行事で有名です。
 その、火を使う行事こそが、「拝火教」の影響を受けたものであると云うのが、その仮説の一つの証明だと言います。
 もしも、それが本当であれば、東大寺の「修二会」もまた、阿修羅に係わるものだと言うことになりますが、それもまた興味深いことではあります。

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参考図書

世界神話事典 (角川選書)

世界神話事典 (角川選書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本

リグ・ヴェーダ讃歌

リグ・ヴェーダ讃歌

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1970/05
  • メディア: 文庫

世界古典文学全集〈第3巻〉ヴェーダ・アヴェスター (1981年)

世界古典文学全集〈第3巻〉ヴェーダ・アヴェスター (1981年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1981/06
  • メディア: -
法華経〈上〉 (岩波文庫)

法華経〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1976/01
  • メディア: 文庫
魅惑の仏像 阿修羅―奈良・興福寺 (めだかの本)

魅惑の仏像 阿修羅―奈良・興福寺 (めだかの本)

  • 作者: 小川 光三
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2000/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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mimimomo

おはようございます^^
なかなか奥の深いお話で、一度では覚えられないですが・・・
少し阿修羅について分かったような気がします・・・
また時々お邪魔して読み返さないといけませんね^^
ありがとうございました。
by mimimomo (2009-02-20 06:06) 

お茶屋

小さい頃、たしかこの奈良で阿修羅像を見ているのですが・・・
その時の不思議なインパクトは、今も確かに残っております☆
by お茶屋 (2009-02-20 14:57) 

lapis

とても興味深く読ませていただきました。
修羅といえば宮沢賢治を読み解くためのキーワードの一つでもありますね。
賢治が震えるほど感動したという島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』の巻末の「法華字解」では、阿修羅について以下のように説明しています。

[阿修羅](Asura)略して修羅ともいふ。非天、非類、不端正と訳す。十界、六道の一。衆相山中、又は大海の底に居り、闘諍を好み常に諸天と戦ふ悪神なりといふ。

この「不端正」が「よだかの星」のよだかの醜さに対応しているという説もあります。

以下のサイトに阿修羅のブログパーツがあります。
http://www.rokushokitan.com/archives/8071

関係のないことを長々と書いてしまいましたが、お許しください。

by lapis (2009-02-20 20:23) 

はてみ

さすがに力を入れて書かれているようですね。
もう一度来て、きちんと読みたいと思います(^^)
by はてみ (2009-02-21 02:17) 

SilverMac

お水取りが終われば、春ですね。興味深いお話でした。
by SilverMac (2009-02-21 09:45) 

dino-tail

興福寺の『阿修羅像』がこの春東京で見られることを初めて知りました!
ぜひ観に行こうと思います。
また、大変勉強になりました。
観に行く前にこれだけ学んでいけば、さらに深い感慨で見ることが出来そうです。
記事中の『裁きそのものが、「正義」である場合もあり、また「悪」と感じられる場合もあり得る』という言葉に、確かにそうだなぁ~と思いました。
色々とありがとうございました。
密かに『仏像』カテゴリーのファンなのでこれからもぜひこちらのカテゴリーの充実を期待しています。
by dino-tail (2009-02-21 09:56) 

gillman

とても読み応えのある記事でした。

by gillman (2009-02-22 09:03) 

sanesasi

あまりにも いろいろ教わること多く 上野へ行く前に何度かこちらへ伺って頭に入れておかなくては 
昨年くれ 興福寺へ行きましたときに 最後の「阿修羅」の本買って来ました 時々見ては癒されております 
阿修羅の写真を見るだけでもわたしにとって阿修羅像は持佛のような気がします
by sanesasi (2009-02-22 11:12) 

sakamono

濃い内容の記事ですね。僭越ながら感心してしまいます。「阿修羅」が神の一族を指す名前だというコトも知らなかったし、「修羅場」なんて日常的に使っている言葉でしたが、こんな由来があったのですね。
by sakamono (2009-02-23 21:48) 

koyuri

こういう由来のお話を聞いてから、阿修羅を見たら、違う見方が出来そうですね。
by koyuri (2009-02-27 01:10) 

アルファルハ

阿修羅展、楽しみにしておりますサテュロスのときのようです。
by アルファルハ (2009-03-01 00:49) 

春分

一族を表す言葉、「アイヌ」とかもそうかな。
文化的に孤高の少数民族だったのでしょうか、アスラ族。
by 春分 (2009-03-01 10:28) 

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