挽歌 ~青い花に寄せて~
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じようとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
宮沢賢治 「青森挽歌」より
心象スケッチ 春と修羅 オホーツク挽歌 所収
僕にとって、So-netブログの大切な仲間の一人であった「カイエ」のlapisさんが亡くなられたということです。
そのことをtanamasa63 さんが、「カイエ」へのコメントで知らせて下さいました。
昨年(2010年)の1月8日に書かれた記事を最後に、ずっと更新がなされないままでしたが、最後の記事を書かれた2日後の1月10日にお亡くなりになられたそうです。
あまりにも急なことのように感じますが、残念ながら詳しい事情は分かりません。
いつの間にか一年が過ぎた今になって、不意に知ることになった訃報に、僕はただ茫然としながら、宮沢賢治の「青森挽歌」の言葉たちが切れ切れに、頭の中で渦を巻くように繰り返されるのを感じていました。
もとより、完全に暗唱している訳ではなく、この長い詩のあちらこちらの言葉が、断片的に脳裏を行き過ぎては、ぐるぐると回り続けるのでした。
lapisさんとのブログ上での交流は、2005年5月8日に、lapisさんが僕のブログの「七重八重…」という記事にコメントを下さったことから始まりました。
僕が初めて訪れたlapisさんのブログの世界には、些か耽美趣味的で、マニアックとも言える、不思議な妖しさを感じたことを覚えています。
でも、そこに鏤められたキーワードの中には、僕の興味と重なるものが幾つもあり、何時の間にか「カイエ」のファンになっていました。
宮沢賢治、澁澤龍彦、泉鏡花…崇徳院、明恵上人… そして 幽霊、妖怪、妖精…
不思議の国のアリス、ポーの一族… ジョン・エヴァレット・ミレイ、アルフォンス・ミュシャ…
lapisさんは、恐らくは僕よりも十四、五歳は若い方だったようですから、勿論その興味のすべてが一致していた訳ではありません。
しかし、さまざまな文学や、美術に関心を持たれていたlapisさんは、相当な数の蔵書を持たれていたようで、本の置き場に苦慮して居られるらしい様子にもまた、僕は共感を覚えていたのかも知れません。
実は一度だけ、lapisさんとお会いできる機会があったのですが、僕の仕事等の都合で、どうしても時間が取れないまま、断念したことがありました。今もそれが、僕にとってはとても心残りな記憶として、消えのこっています。
現実の世界では、終に一度も会うことの出来なかったlapisさんですが、その訃報に触れた際には、現実に顔を見知っている知人が亡くなったことを知った時以上の、言い知れぬ喪失感に襲われました。
「lapisさんだったら、どんなコメントをくれるだろう」これまでも、そう思いながら書き終えた記事が幾つかありましたが、まだ書き切れずにいるそんな記事が幾つも残っています。
でも、あの独特な文体で書かれた記事にも、同様な口調で寄せて下さったコメントにも、もう触れることは出来ないのだと思うと、切なさと悔しさが同時に込み上げて来ます。
でもそれは、こちらに残された者の身勝手な想いのような気もします。
なぜ通信が許されないのか
許されてゐる そして私のうけとった通信は
母が夏のかん病のよるにみたゆめとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
宮沢賢治 「青森挽歌」より
心象スケッチ 春と修羅 オホーツク挽歌 所収
lapisさんが殊更に好きだったと思われる宮沢賢治が詩の中に書き記したように、lapisさんが旅立たれたのは「それはおれたちの空間の方向ではかられない」世界なのかも知れません。
それでも、もしも通信が許されるならばと、僕も思わずにはいられません。
今日の記事に載せる写真には、青の好きなlapisさんが気に入ってくれていたオオイヌノフグリを選びました。
この一月になってから、家の庭の片隅に咲いた小さな青い花です。
lapisさんが最後の記事で紹介してくれた、フィリップ・ディックの作品を、あの後直ぐに書店で買い求め、何冊も続けて毎日のように読み耽りました。
何時か、出会える機会があったら、そんな話もしたかったのに…
近いうちに、上野の西洋美術館に行く予定です。
そうしたら、ミレイの描いた「あひるの子」の少女に会いに行きます。
辛いけれど、lapisさんも好きだった、あの絵の中の少女には、lapisさんが旅立たれたことを、僕は伝えなければならないと、そう思っています。
おはようございます。
もしかして、春分さんが記事の中で心配していらした方ですね?
私は交流はありませんでしたが、
時折、お見かけするお名前でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
by ゴーパ1号 (2011-01-23 07:24)
私はとりあえず「カイエ」をずーっと読んで見ました。800記事もあると1日仕事で。
そして読むほどに、ますますlapisさんはまだそこにいるかのような気になる。
ですから作業の目的としては失敗で。ますます今を受け入れ難くなってしまいました。
似た感じの書き方になりますね。私もほぼ書けました。まもなく載せられると思います。
by 春分 (2011-01-23 07:28)
オオイヌノフグリがもう咲いているのですね。
水仙や蝋梅など
今冬は寒さが厳しいように感じるのに花は早く咲くように思います。
lapisさんというHNだけはおみかけしていました。残念ですね。。
by かっか (2011-01-23 07:37)
そうですか、lapisさん亡くなってたんですか。ぼくも「カイエ」の大ファンの一人でした。今でもBookmarkには彼のブログのURLが残っています。更新がないのでずっと気になっていました。
ぼくのブログにも何度かコメントを頂いたこともあります、感性の塊のような記事に触れるたびに感心するとともに、自分の無知を恥じておりましたが…
by gillman (2011-01-23 10:37)
青い花 私も大好きで今年ももう咲いているかもと思っておりました
こちらに伺って やはり美しいお写真と思っているうちに なんと哀しいお話 私もlapisさんのブログに伺う楽しみと わたしのつたないブログにもコメントを下さったり いろいろと分からないこと教えてくださいました とてもお優しい方でした お会いした事もありませんが 涙があふれてきました ずっと心に残り 青い花を見るのがつらくなりそうです
by さねさし (2011-01-23 20:38)
albireoさん こんにちは。
lapisさん、宮沢賢治さんお好きでしたね。
素敵な方だっただけに本当に残念です。
by moe (2011-01-24 13:04)
はじめまして・・・と言うべきなのでしょうか・・・。
実はalbireoさんのアイコンやコメントはlapisさんの記事内で
何度も拝見していたので、はじめまして、という感じではないんです。
時折albireoさんの記事は盗み見させてもらってましたし・・・(笑)
私はlapisさんと対等に知識欲をぶつけ合えるalbireoさんに
嫉妬していたのかもしれませんね。(苦笑)
私自身、ブログを開店休業状態にして数年が経過していますが、
ブログ時代に交遊のあった方々とは季節の交換だけは
させていただいておりました。
そんな中でlapisさんからは本人ではなくお父様から訃報の知らせを
いただいたので、大変驚きました。
この報を受け、早速私はlapisさんのブログ記事を見直してみました。
そこには1年前のlapisさんしかいませんでした・・・。
改めて私は深い喪失と絶望、そして悲痛な気持ちになりました。
またコメント欄には記事再会(開)希望の言葉が並べてあるだけでしたので
私はあのコメント(情報)を載せるべきかどうか悩みました。
しかし今は後悔しておりません。
albireoさんや春分さんがlapisさんのために素晴らしい
供養記事を書いてくださったんですから。
45歳という若さで浄土へ還られたlapisさんも喜んでみえると思いますよ。
by tanamasa63 (2011-01-24 23:26)
こんばんは^^
美しいオオイヌノフグリですね~
お写真に心がこめられて。
その方、わたくしは存じ上げないと思いますが、
ブログ上の友人が櫛の歯が欠けるように、時々亡くなられます。
とても淋しいですね。
ご冥福をお祈りいたします。
by mimimomo (2011-01-31 20:37)
niceと、コメントを下さった皆様へ
とても重い内容で、コメントをし辛いと思われる記事へ、沢山のniceとコメントを頂きましてありがとうございました。
頂いたコメントから、lapisさんが多くの方たちに、どんなに大きな影響を与えていらしたかを、改めて知ることが出来ました。
今になっても、僕はどうしてもlapisさんの死という現実を受け入れ難く感じていますが、何時までもトップページを追悼記事のままにして置くことは、多分lapisさんも喜んではくれないと思います。
ですから、niceとコメントを下さった皆さんへの感謝と、我が友(敢えてそう呼ばせて下さい)lapisさんへの哀悼の意を込めて、暫しの黙祷を捧げて、この記事を締めくくりたいと思います。
by albireo (2011-02-02 23:53)