受難の花 [歴史・伝説]
先日の『トケイソウ』の記事に、ナナさんから『トケイソウ』の果実が『パッション・フルーツ』と呼ばれていること、そしてはるまきママさんとlapis さんからは、この花が『パッション・フラワー』と呼ばれ、『キリスト受難の花』とされている事に就いてのコメントを頂きました。
最初にこの花に就いて調べた時、勿論その件に関しても調べた本には載っていて、一応読んではいたのですが、ちょっと煩雑な話だったので、記事には書きませんでした。
今回頂いたコメントを拝見して、改めて調べてみると、なかなか面白い話でしたので、再び記事にすることにしました。
12世紀から13世紀、イタリアのアッシジに、フランチェスコというキリスト教の聖人がいました。
フランチェスコは、「もう一人のキリスト」と呼ばれるほど信仰に篤い人で、彼の説教を聴きに、小鳥が集まってきたと言う説話が知られています。
そのフランチェスコが、ある時『キリストが磔になった十字架の上に咲く花』を夢に見た、と言う話が伝わっているということです。
やがて16世紀になり、コロンブスのアメリカ大陸発見を受けて、キリスト教の宣教師たちが南アメリカへ布教のために渡り始めます。
その時に渡ったイエズス会の宣教師が、この『トケイソウ』と出会い、「これこそが聖フランチェスコが夢に見た花に違いない」と、確信してしまったのだそうです。
つまり、トケイソウの葉を槍に、五本の雄蕊の葯をキリストが釘と槍で受けた五ヶ所の傷に、そして巻きヒゲを鞭に、更に子房を十字架、三本の雌蘂を釘にと、花の部分ごとにキリストの受難を象徴するものに、見立ててしまったというわけです。
この花を見た宣教師たちは、布教活動に懸命になったということです。
このことから、『トケイソウ』は、受難の花という意味の『Passion flower』と呼ばれることになりました。
ですから、果実の方も『パッション・フルーツ』になるわけです。
・・・と言うことで、やはりややこしい話でしたね・・・。
花も、不思議な姿ですが、伝わっている話も不思議なものだと思いました。
それにしても、信仰心というものの凄さを感じさせる話でもあります。
でも、『トケイソウ』『聖フランチェスコ』『イエズス会』と、色々調べてみると、とても興味深いものがありました。
コメントを下さった皆さんのお陰で、色々と知ることが出来ました。
ありがとうございました。
albireoさん、ご苦労様でした。
『トケイソウ』『聖フランチェスコ』『イエズス会』、とても興味深いですよね。
言葉の力とは強いもので、、『キリスト受難の花』といわれれば、キリストの姿に、『時計草』といわれれば、時計に見えてくるから、不思議なものです。
分かりやすく、まとめていただき、ありがとうございました。
とても、楽しかったです。
by (2005-07-09 00:04)
個性的な花ですね。一言であらわすと、花より、ホビー感覚ですよね。G-shock !
by うっぴぃ〜 (2005-07-09 20:33)
・・・コメントは?
なぜ、無いのでしょうか?消えたのかな?エラーだったのかな?
追伸:面白いお話、ありがとうございます。ちょっと、人間のエゴを感じました・・・なんというか、布教に使われちゃったというか、なんというか・・・うまくいえませんが。
by ナナ (2005-07-10 00:05)
遅くなりました・・・ m(__)m
私はパッションを”情熱”と勘違いして、「キリスト受難」という意味を知らなかったんです・・・ ^^;
キリスト受難になぞらえるなんて、なんて想像力が豊かなのでしょう。
しかも花弁や巻きひげに一つ一つ意味合いを持たせるなんて・・・とても面白いです。
by はるまきママ (2005-07-12 08:57)
◇ lapis さん ありがとうございます。
やはりイメージを呼び起こすのは、「言葉」なのですね。
当然と言えば、当然なのですが、そんな言葉の力を普段は意識していないように思います。
◇ PETAMUN_R さん ありがとうございます。
G-shock。確かに、そんなイメージですね!
◇ ナナ さん ありがとうございます。
やっぱりコメント、入れてくれていたのですね・・・。あの時、やたら重かったのでエラーが出たのかも知れません・・・。
宗教的な思い込みというものは、ある意味恐ろしいものがありますね。
◇ はるまきママ さん ありがとうございます。
僕も、パッションフルーツというのは、南国の果物だからなのかと、勝手に思っていました・・・。
宗教が絡むと、人間の思い込みというのは、尚更凄まじいですね。
by albireo (2005-07-17 11:20)