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ジャスミンの花飾り [歴史・伝説]

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 五月半ば近くになると、街角でふと強い花の香りを感じることがあります。

 辺りを見回すと、思いの外遠くにある建物の、フェンスや生垣に絡み付いて咲いている、白い花がその香りの元であることに気が付きます。

 写真のこの花は、ジャスミンの一種で、ハゴロモジャスミンと呼ばれる、園芸品種です。

 この強烈なまでの香りを持つ花を、僕は庭に植えようとは思いませんが、この時期街中でこの花を見掛けると、何時も思い出す物語があります。

 それは、日本ではあまり読まれることのない、古い仏教の経典に記された、こんな物語です。

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   昔々、今から二千五百年ほども昔。まだ、お釈迦様が説法をなさっていた頃のインドでのお話です。
 そのころのインドは、一つの国ではなく、沢山の小さな国が集まって出来ていて、それぞれの国を、大王と呼ばれる王様が治めていました。
 そんな国の一つに、コーサラと呼ばれる王国があり、パセーナディという名の大王が治めていました。
 パセーナディ王には、マッリカーと呼ばれる、美しく聡明なお妃がいました。

 マッリカーとは、妃の本当の名ではなく、古いインドの言葉でジャスミンの花を表す言葉でした。
 王妃は、ジャスミンの花をことの外愛されていて、その花飾りを髪やドレスに飾られていたために、マッリカーと呼ばれていたのでした。

 ある日のこと、パセーナディ王は、マッリカー妃を伴って、宮殿の高楼に登っておられました。
 その時、王は王妃に向かって、こう訊ねられました。
 「マッリカーよ。そなたには、そなた自身よりも愛しいと思う者が、誰かあるであろうか」と。
 王妃は答えました。
 「いいえ、王様。私には、私自身よりも愛しいと思う者は、誰もございません。王様には、誰ぞご自身よりも愛しいと思われるお方が、いらっしゃいますのでしょうか」
 それを聞いて、パセーナディ王もまた答えました。
 「マッリカーよ。私にも、私自身よりも愛しいと思う者は、誰もいない」と・・・

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 やがて、宮殿の高楼から降りたパセーナディ王は、かねてから尊敬しているお釈迦様を訪ねて、王妃と交わした会話のことを話しました。
 その話を聞かれたお釈迦様は、その会話は、将にその通りであるとうなづかれて
、次のような詩を王に与えたと言うことです。

  人の思いはいずこへも赴くことができる
  されど、いずこへ赴こうとも
  人はおのれよりも愛しい者を見出すことはできない
  それとおなじく、他の人々にも、自己はこのうえもなく愛しい
  されば、おのれの愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ 
(増谷文雄訳)

             阿含経典 南伝 相応部経典 三、八、末利

   物語の出典は、阿含経典 第四巻    増谷文雄訳  筑摩書房 1979年刊
          ブッダ 神々との対話  中村 元訳    岩波文庫   1986年刊

      上に記した物語は、以上2点の、古代インド語による原典からの翻訳を元に、
      物語風に書いて見ました。

      最後の「詩」(仏教用語では、「偈(げ)」の部分は、増谷文雄さんの訳文を、
      引用させて頂きました。

 尚、仏像の写真は、東京国立博物館・東洋館所蔵のガンダーラ仏(2~3世紀)を撮ったもので、上の写真が如来像。下の写真は菩薩像です。また、この時代の菩薩像は、成道前の釈迦である「悉達多太子(しっだるたたいし)」の修行中の姿を現したものだとも言われています。

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 お寺などでの、僧侶の説法の中では、お経に書かれていることは、お釈迦様が直接説かれたことであると、聞かされることがあります。それは、信仰の上では真実かも知れませんが、歴史的にはそうではありません。

 釈迦の入滅後も、釈迦の説法の内容は、弟子からその弟子へと、口承で受け継がれて行き、実際に文字に書き起こされたのは、釈迦の入滅後、数百年ほども経った後と考えられています。

 現在まで残されている、膨大な量の仏教の経典の内、特に古い時代に編纂されたものの一つが、「阿含(あごん)経典」と呼ばれる、一連の経典群です。

 「阿含経典」の成立時期が、釈迦の入滅後数百年後とは言え、その後数百年にわたって、順次書き継がれた多くの経典の中では、より古い時代に書かれた経典であるため、それより後に作られた経典よりも、実際に釈迦が語ったことに近い内容が、記されていると考えられています。

 初めに紹介した、「マッリカー」の説話は、その「阿含経典」に含まれている、ごく短い経典のひとつです。

 仏典の多くは、唐の時代の中国で、漢文に翻訳されて、日本にも伝えられていますが、スリランカ等に伝わっている、かつては「小乗仏教」と呼ばれた「上座部仏教」で重要視されていた「阿含経典」は、大乗仏教が主流であった日本や中国では、あまり重要視されず、読まれることも少なかったようです。

 勿論「阿含経典」の中にも、漢訳されたものもあり、日本にも伝えられた経典もあります。しかし、「マッリカー」と題されたこの経典自体は、残念ながら漢訳はなされなかったと言うことです。

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  僕が、この物語を初めて読んだのは、もう30年近くも前に、仏教学者の増谷文雄さん(1902~1987)が、古代インドのパーリ語の原典から翻訳されたものを元にして書かれた『仏教百話』(ちくま文庫)という本に依ってでした。

 僕はそれ以来、「マッリカー」と題された、この物語がとても好きです。
 訳者の増谷文雄さんも、『阿含経典』(筑摩書房)と言う著書で、この経典に付された解説に「うつくしい経である」と記されています。

 しかし、この経典の中で、人間にとって、自分自身が一番愛しい存在であると、釈迦が説いていると言うことについては、本当にそうだろうかと、疑問に思われる方がおられるような気もします。

 でも、釈迦は、阿含経典の別のエピソードの中でも、同様なことを語っています。
 それは、何か小さな神霊のようなものが、釈迦の前に現れ、「人間にとって、最も愛しいものは、その子供である」と語った時のことです。釈迦は、神霊のその言葉を、即座に否定して、「人間にとって、最も愛しいものは、自分自身である」と反論しています。

 更にまた、阿含経典の中では、パセーナディ王との問答で、「様々な悪行をなすものは、自分自身を愛してはいない」「自分自身を愛すべきと知る者は、悪行をなしてはならない」と語られてもいます。

 様々な凶悪な事件が起こる中で、「なぜ人を殺してはいけないのか」と言うような題名の、子供向けの本が書店の棚に並べられているのを、かなり以前のことですが、確かに見た記憶があります。

 「誰もが、自分が一番愛しいのだから、だからこそ他のものを傷付けたり、殺したりしてはならない」それが、その本の問い掛けに対する、最も相応しい答えであるように思えます。

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 また、釈迦と同時代の、宗教者が語ったと言う、こんな言葉を読んだことがあります。

 「人は、その子を愛するのではない。自分自身を愛するがゆえに、その子を愛するのだ」と。

 この言葉は、この後「その親を…」「その妻を…」「その夫を…」…と、延々と続いていたと言う記憶があります。しかし、その時読んだ本が、行方不明になっているため、残念ながら出典を明記することが出来ません…

 これも、釈迦の言葉と同様の意味を持つものと感じますが、人は他のものを見る時、常に自分自身と言うフィルターを通して見ていると言うことなのだと思います。

 現代という時代には、ストーカーだとか、DVの加害者だとか、自分と他者との境界が見えていないかのような人間が、信じられないほど大勢存在するようです。ですが、もしも人格が形成される時期に、本当の意味で自分自身を愛することを理解出来ていたら、せめて相手を傷つけたり殺したりする前に、思い止まれるのではないかと言う気もします。

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 因みに、写真の「ハゴロモジャスミン」 は、この経典で、王妃がその花飾りを身に着けていたと言う「ジャスミン」とは、同じ仲間の植物ですが、花の姿はかなり異なっています。

 また、「ジャスミン」の和名は、「マツリカ」と言い、漢字では「茉莉花」と書きます。
 これは恐らく、今回紹介した経典とは、別の経典の中に記されていた、インドの「マッリカー」という花の名前を、唐時代の中国の訳経者が、「茉莉花」という名に、音訳したものだと思われます。

 そう言えば、園芸品種の植物に、「瑠璃茉莉(ルリマツリ)」という青い花を咲かせる蔓性の植物があります。この花は、ジャスミンとは分類上の科も異なる、まったく別種の植物ですが、花の姿がジャスミンに似ていると言うことで、「マツリ」の名を付けられているようです。

 尚、下に参考図書として掲げた本は、すべて古代インドの言語であるパーリ語等からの原語訳に依るものだと言うことです。

参考図書

仏教百話 (ちくま文庫)

仏教百話 (ちくま文庫)

  • 作者: 増谷 文雄
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1985/12
  • メディア: 文庫
  • 今から29年前の刊行ですが、現在も新本で販売されています。
阿含経典による仏教の根本聖典

阿含経典による仏教の根本聖典

  • 作者: 増谷 文雄
  • 出版社/メーカー: 大蔵出版
  • 発売日: 1993/10
  • メディア: 単行本
阿含経典2 人間の感官(六処)に関する経典群 実践の方法(道)に関する経典群 詩(偈)のある経典群 (ちくま学芸文庫)

阿含経典2 人間の感官(六処)に関する経典群 実践の方法(道)に関する経典群 詩(偈)のある経典群 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 増谷文雄
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/09/10
  • メディア: 文庫

全3巻中、「マッリカー」と題された経典は、2巻に収録されています。

ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)

ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1986/08/18
  • メディア: 文庫



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mimimomo

おはようございます^^
お経にしては《わたくしの知っているお経》ちょっと異質な、分かりやすいものですね。
自分を愛するからわが子を愛す。なるほど、そんなものかも知れません。
by mimimomo (2014-05-25 06:52) 

ゴーパ1号

まだまだ「百億の昼と千億の夜」を読了出来てないわたくしです^^;
でもとっても面白いですね!
今も、PCの傍らに置いてあるのですけどね^^;
by ゴーパ1号 (2014-05-28 08:38) 

sakamono

「茉莉花」と書いて、「ジャスミン」とルビがふってあるのを見たコトが
ありますが、「マツリカ」と読んでもいいんですね。「マツリカ」の方が
響きが何かいいなあ。
「常に自分自身と言うフィルターを通して見ている」というところに、
なるほど、と思ってしまいました。
by sakamono (2014-05-31 10:26) 

ねこじたん


確かに マツリカ っていい響きですよね

経典とか 深いな〜
by ねこじたん (2014-06-07 01:56) 

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