SSブログ

立憲主義の憲法 [日々の雑感]

20140425_005722870_iOS.jpg 

今日は、5月3日。憲法記念日です。
せめて今日ぐらいは、憲法に就いて、きちんと考えて見ることにしたいと思います。
そこで、自分自信の考えを確認するためにも、昨年に続いて、憲法に就いての記事を書いて置くことにします。

20140425_002809528_iOS.jpg

昨日(5月2日)の夜のNHKのニュースで、憲法改正に関する世論調査の結果を公表していましたが、それによると、前年度の調査と比較して、改憲に対して慎重な人の割合が、幾分か増えていると言うことでした。

それは、日本の憲法は、欧米の民主主義国家と同様に「立憲主義」に基づく憲法であると言うことが、ここ暫くあちこちで語られていることも、影響しているのかも知れないと、僕はそんな風にも思いました。

「立憲主義」とは、広辞苑によると「憲法を制定し、それに従って統治するという政治の在り方。この場合の憲法とは、人権の保障を宣言し、権力分立を原理とする統治機構を定めた憲法を指し」ていると言うことです。

20140425_005348731_iOS.jpg

立憲主義の憲法とは、国民が政治家や官僚に対して、「この憲法に書かれている通りに政治を行いなさい」と言う、国民から為政者に対する命令であると、そのように説明する憲法学者がいますが、それが最も分かり易い「立憲主義」の説明かも知れません。

しかし、先日自民党の有力な政治家が、自民党で作った憲法の改正草案に関して、「国民の権利と義務がバランス良く記載された、良い草案であると思います」と、そんな発言をしているのを、ニュースで聞きました。
でも、それはとんでもない話で、国民の「義務」が、「権利」と同等に書き込まれた憲法など、最早「立憲主義」に基づく憲法とは到底言えないものになってしまいます。
それでは、政治家が「立憲主義」と言うことを、まったく理解していないとしか思えません。
因みに、国民の義務は、憲法以外の様々な法律に、充分過ぎる程に記載されており、あくまでも国民による、為政者に対する命令が「立憲主義」の憲法である以上、国民の義務を書くこと自体が、おかしいと理解すべきです。

「立憲主義」という考え方は、嘗てヨーロッパの国々が、専制君主制による圧政から抜け出した後、国民が憲法に依って権力者を縛り、国民の権利を守ると言うことから始まったとされています。
権力と言うものは、隙があれば暴走をするものです。だからこそ、民主主義を守る為に「立憲主義」は生まれたと言えます。

20140425_011842101_iOS.jpg

僕は、あくまでも現行憲法を変える必要はないと思っていますが、それでも議論を避けるべきでもないと思っているので、取り敢えず自民党の憲法草案を読んでみました。

現行憲法の中でも、9条に関しては、僕は特に変えてはならないと考えていますから、どうしても変えたいとして作られた自民党草案の9条に相当する部分については、充分に検討してみなければなりません。
しかし、ここでは敢えて別の条文を見てみたいと思います。

それは、草案の以下の条文です。

<第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)
1 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。>

これに就いては、憲法改正に積極的な、保守系の憲法学者の中にさえ、疑問を呈しておられる方がいます。
つまり、国家が国民に対して、「家族は助け合え」と命令している、或いは義務を課している訳ですから、「立憲主義」の立場には馴染まない条文であると言う意見です。

それは、非常に尤もな意見です。でも同時に、僕は別の意味で、草案のこの条文に、非常な怖さを感じました。

これは、謂わば「家族は仲良くしよう」と言うのだから、いいことではないかと思う人がいるかも知れません。
けれど、僕はこの条文を読んだ瞬間に「家父長制」を思い浮かべてしまいました。

「家父長制」は、明治から太平洋戦争中に至るまで続いた、家長が絶対的な権限を持つ、非常に封建的な家族制度の事です。
それは、明治時代から「国家主義」を支え続けて来た、根元的な支柱の一つであったと、僕はそう考えています。

戦後になっても、僕が子供だった頃にはまだ、学童の保護者を指す「父兄」という言葉が、普通に使われていました。
「父兄」それは、「父と兄」です。「父と母」でもなく、「母と姉」でもなく、あくまでも男性である「父と兄」が、保護者を指す言葉でした。そこには明らかに「父権」という概念があり、更にはどこかにまだ、戦中までの「男尊女卑」という観念も潜んでいたようにも思われます。
(実際に、僕の手元にある、明治時代の資料を集成した本を見ると、当時の家族制度の中には、明らかに男尊女卑の観念が含まれていると言っても、過言ではないと思われる資料があります)

僕は、様々なところで、これまでに読んだり聞いたりして来た、保守的政治家や評論家の言動の中に、「家父長制」「国家主義」「国家神道」…そういったものの復活を、密かに望んでいるような、そんな雰囲気を感じることが多々ありました。
それが、僕の頭の中に蓄積されていて、草案のこの条文を見た瞬間にすべて繋がって、上記のような感想を持ったのだと思います。

そうしたところから考えると、「立憲主義」とは決して相容れない、この憲法草案は、そのまま正反対の「国家主義」へと繋がって行くような気がします。

それでも、この短い草案の条文を、深読みし過ぎだと思われるかも知れません。

20140502_060128202_iOS.jpg

けれども、妙に国家主義的な、或いは民族主義的な、世の中の傾向を見ていると、僕の心には不安が募って来ます。

そして、これまで過激な思想に染まることは少なかったと思われる、若い女性たちまでもが、何故なのか、ヘイトスピーチに参加して、過激な罵声を発していたり、保守的と言うよりも軍国主義的と言えるような、選挙の立候補者を応援したりしている姿を見ていると、尚更にどうしようもない不安感が、僕の心に萌し始めます…

平和であることの尊さは、いまだに外国で打ち続いている、様々な戦争の映像を目にすれば、容易に心に沁みて来るように思うのですが…何故、この平和な状態にある日本の人たちまでもが、過激な方向に突き進もうとするのでしょうか…

平和で在るために、二度と軍国主義や独裁者の台頭を許さないために、繰り返し「憲法」の在り方を考え続けて行かなければならないと、僕は今そう感じています。


nice!(23)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 23

コメント 3

ぜふ

時代の要請に従って変えるのはよいと思います。
ご指摘の箇所は要請なのでしょうかね?
これを読むと、家族でなければ助け合わなくてもいいとも読めてしまいますし。
コワイですね・・
そもそも憲法は国(政府)を制御するためにあると教えられたと思いますので、
草案を作るのはいいとしても国が改憲をすすめるのはおかしいと思います。
国民投票するべきでしょうね。
by ぜふ (2014-05-03 06:18) 

mimimomo

おはようございます^^
あまり政治のことなど新聞を読んでいないので何とも言えないですが、わたくしは
人間は相当エゴイストだと思っています。三人寄れば必ず‘長’ができる。
完全平等はありえないと思っているのです。だから人付き合いが悪くなるのかも^^

by mimimomo (2014-05-03 06:44) 

はてみ

憲法改正を考えるほどには、
私たちの社会はまだ成熟しきっていないように思います。
もっとほかに解決を急ぐべきことがあるのではないかと。
by はてみ (2014-05-05 21:09) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。