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興福寺仏頭展 [展覧会]

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                                                                 上野公園内、告知ポスター

 東京藝術大学大学美術館で開催中の、「国宝 興福寺仏頭展」を観て来ました。

 僕は、九月四日と九月十二日の二回観に行きましたが、白鳳時代の国宝の仏頭と、鎌倉時代の国宝の十二神将像を中心にした、奈良・興福寺の仏像・仏画の名品を展観出来る、素晴らしい展覧会でした。

  開催期間 2013年9月3日(火)~11月24日(日)

     東京藝術大学大学美術館HP

 

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                                                                             興福寺境内

 興福寺の仏頭は、元来は山田寺という寺院の本尊でした。

 山田寺は、現在の奈良県桜井市にあった寺です。

 建てたのは、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわのまろ)と言う名の、中大兄皇子(なかのおおえのみこ=後の天智天皇)の部下で、大化の改新に功績のあった人物です。
 とても長い名前ですが、人名辞典等によると「蘇我倉山田石川」までが苗字で、「麻呂」が名前だと言うことですから、以下「麻呂」と略します。

 日本書紀によれば、麻呂は、大化の改新の後、右大臣にまで昇進しましたが、異母弟である「日向(ひむか)」の讒言により、謀反の疑いを掛けられてしまいます。追討を受けた麻呂は、まだ建設途中だった「山田寺」に入り、そこで妻子と共に自害して果てました。
 しかし、後に冤罪であったことが分かり、中大兄皇子は悔やみ嘆いたと伝えられています。
 その後、石川麻呂の孫娘である鸕野讚良皇女(うののささらのひめみこ=後の持統天皇)の尽力によって、山田寺の建設も再開され、685年には丈六の如来像が造立されました。

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                                               興福寺・東金堂

 平安時代の末期、平清盛の命によって、南都に攻め入った平重衡(たいらのしげひら)は、図らずも南都の諸寺を焼き払ってしまいます。
 その際に、興福寺の東金堂も焼け落ち、本尊の薬師如来も亡失してしまいました。

 戦乱の後、東金堂の建物は再建されますが、内部に安置する本尊の造立は思うように進みません。
 それに業を煮やした、「僧兵」である東金堂衆は、山田寺の如来像に目を付け、強奪して東金堂の本尊にしてしまいました。それは、文治三年(1187年)のことでした。
 後に、当時の興福寺復興事業の責任者であった九条兼実の事後承認を経て、山田寺の如来像は、正式に興福寺東金堂の本尊薬師如来として祀られることになります。

 しかし、その後東金堂は、二度の火災に見舞われます。
 一度目は、無事に運び出されたと言うことですが、応永十八年(1411年)間近に建っていた五重塔への落雷による二度目の火災に依って、銅製の如来像は熔け落ち、頭部だけになってしまいました。

 

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                                                興福寺・東金堂

 その薬師如来像の頭部は、後に造立された本尊の台座内に、木箱に入れられて納められました。

 しかし、いつしか仏頭の存在は忘れ去られ、五百年もの月日が過ぎた後の、昭和十二年に行われた、東金堂の解体工事の最中に、銀製の別の仏像の手の一部と共に、改めて発見されることになります。

  それが、今回の展覧会で展示されている「仏頭」です。

  戦争や確執等と言う、様々な人間同士の愚かな行いの歴史を経ても、仏頭は穏やかな表情で、今もそこにいて、人々を見つめてくれているように思います。

 

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                                             京都・仁和寺

 ところで、今回の展覧会の図録に、如来像の強奪の件に関して、面白い仮説が載っていましたので、少しだけ紹介して置きます。

  安田次郎さん(お茶の水女子大学教授)の「東金堂衆と山田寺薬師三尊」に依れば、当時、興福寺と京都の仁和寺とは、対立関係にあったと言うことですが、如来像の強奪事件に先立って、仁和寺側が興福寺の末寺の一つを、奪い取ってしまうという事件が起きていたと言う記録があるそうです。
 そのため、僧兵集団である金堂衆は、敢えて仁和寺の影響下にあった山田寺を襲い、仏像を強奪したのではないかと言うのです。

 そうだとすると、そこには、謂わば「報復」という意味合いも込められていたのかも知れません。

 

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                         興福寺・東金堂  「燈花会」の燈火と五重塔ライトアップ

 今回の展覧会では、「仏頭」が薬師如来として東金堂に安置された直後に造立されたと言う、「木造 十二神将立像」と、本尊の台座にはめ込まれていたと考えられている「板彫十二神将」が展示されています。どちらも、国宝の仏像です。

 当然、十二神将立像の写真は撮れませんから、以下に興福寺のサイトと、仏頭展の特設サイトを紹介して置きます。

  法相宗大本山 興福寺

    仏頭タイムス 

 

 板彫りの十二神将は、とてもユーモラスな姿と表情をしていますが、それぞれに個性があって、拝観していることが楽しくなってさえ来ました。

 また、木造・十二神将立像については、興福寺の東金堂内で拝観する際には、他の多くの仏像と共に安置されているため、それぞれの像の表情までは、なかなか良く見て取ることは出来ません。
 しかし、今回は十二体の各像が、十二分な間隔を取って安置されているため、上から以外のすべての方向から、じっくりと拝観することが可能です。

 僕は、二度目に行った際には、父親を乗せた車椅子を押しながら展示室内を回ったのですが、車椅子でも、余裕を持ってゆったりと進むことの出来る状況でした。
 

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                        十二神将立像  東京国立博物館
 
                           横須賀市曹源寺伝来・鎌倉時代・木造・重要文化財

 やはり、写真がないと説明がし辛いので、以前の記事にも載せた写真ですが、東京国立博物館で撮らせて頂いた、別の十二神将像を参考として掲載しておくことにします。

 十二神将像には、「子・丑・寅・卯・・・」の十二支を象った動物の標識を頭に飾った姿が、多く見受けられます。
 十二支は、最近の日本では、動物の姿で「年」を表すものという見方をされることが多いと思います。実際には、一部のカレンダーにも記載されていますが、それぞれの「日」にも、十二支は割り当てられていますし、江戸時代頃までは「時間」の表示にも使われていました。

 つまり、十二支は十二進法の数字としての意味を持っている訳です。

 そして、十二支は「方角」をも表すことが出来ます。

 十二神将は、薬師如来を守護するために、上の写真のように、様々な武器を持って、十二支で表される十二の方角を守っているのです。

 以下に、十二神将のそれぞれの名前と、守るべき方角としての十二支、及びそれに対応する「東西南北」で表される、現在の方位を表にしたものを載せて置きます。

       名  称        読 み 方    十二支      方 位
   毘羯羅大将   びからたいしょう              
   招杜羅大将    しょうとらたいしょう           北東微北
   真達羅大将    しんだらたいしょう           北東微南
   摩虎羅大将   まこらたいしょう              
   波夷羅大将   はいらたいしょう           南東微北
   因達羅大将   いんだらたいしょう           南東微南
   珊底羅大将   さんていらたいしょう               
   頞儞羅大将   あにらたいしょう           南西微南
   安底羅大将   あんていらたいしょう           南西微北
   迷企羅大将   めきらたいしょう               西
   伐折羅大将   ばさらたいしょう            北西微南
   宮毘羅大将   くびらたいしょう            北西微北

 それぞれの名前は、古代インドの言葉であるサンスクリット語の名称を、「音訳」と言う形で漢字に置き換えたものです。
 この中には、別の名前で、仏様や神様として祀られている方たちもいます。

 例えば、「因達羅大将」=「いんだらたいしょう」は、「インドラ」を音訳したもので、別名を「帝釈天」と言います。
 
「伐折羅大将」=「ばさらたいしょう」は、「ヴァジュラ」の音訳で、別名は「金剛力士」「執金剛神」或いは「仁王」とも呼ばれます。

 「宮毘羅大将」=「くびらたいしょう」は、「クビラ」或いは「クンヴィーラ」等の音訳で、インドに生息する「インドガビアル」というワニの一種を神格化した存在です。別名を「金毘羅」と言います。また、ブログ仲間のmimimomoさんが、ネバールに行かれた際の記事に載せておられた「クンビラ山」という山の名前も、この神格から来ていると思われます。

 また、方位の表示に「北東微北(ほくとうびほく)」などと言う耳慣れない言葉が使われていますが、十二方位を「東・西・南・北」の四つの方位で表そうとすると、このような表現をせざるを得ないと言うことのようです。

 尚、各像の名称の読み方は「国宝 興福寺仏頭展」の表記に合わせましたが、この内の 「さんていらたいしょう」と「あんていらたいしょう」については、それぞれ「さんちらたいしょう」「あんちらたいしょう」とも呼ばれます。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

  今回の展覧会の「仏頭」及び、「木造十二神将像」「板彫十二神将」の何体かは、平成9年に東京国立博物館で開催された、「興福寺国宝展」にも展示されていました。

 その展覧会は「南円堂平成大修理記念展」として開催されましたが、同時にフランスのパリで開かれた「興福寺展」からの「帰国記念展」の意味合いも持つ展覧会でした。

 平成9年の展覧会には、「阿修羅像」こそ来ませんでしたが、興福寺北円堂の「無著」「世親」の兄弟像等、興福寺の名宝の数々がやって来てくれると言う、素晴らしい展覧会であったことを記憶しています。

 しかし、今回の「十二神将像」の展示も、本当に素晴らしく、機会があればもう一度会いに行きたいと思っています。

 

 

参考図書

 「国宝 興福寺仏頭展」図録

 

 

日本書紀 5冊 (岩波文庫)

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  • 作者: 坂本太郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/07
  • メディア: 文庫

 

 


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mimimomo

おはようございます^^
昔は骨肉の争いじゃないですが、身近な人たちも戦っていたのですよね。
それに火災も多いですね。
仏像も翻弄されますね。
十二支ではやはり戌に関心が高いです^^
ばさらたいしょう、見に行く機会があったらじっくり眺めてこなくちゃ^^
金剛力士像もそうなんですか。これからはもっと親しみが持てそうです。
by mimimomo (2013-09-29 09:44) 

mimimomo

法相宗大本山 興福寺をクリックすると何故だか自分の
記事管理画面に繋がるのです~
by mimimomo (2013-09-29 09:48) 

albireo

>mimimomoさん
いつもありがとうございます。
戌年の伐折羅大将は、十二神将の中でも、特にカッコいい姿をしている一人ですね。興味を感じて頂ければ、嬉しく思います。

リンクの件は、昨晩更新後に確認した時は、問題なく興福寺のサイトに繋がったのですが・・・先ほど試して見ると、「albireoの管理画面」に繋がってしまいました。何かエラーが発生したようです。修正する際に、色々と確認して見ましたが、mimimomoさんの管理画面へ、他の人のPCから繋がるという訳ではなかったと思いますので、ご安心下さい。
本当に、いつも色々とご連絡を頂き、感謝しております。

by albireo (2013-09-29 10:26) 

ぜふ

謎の多い大化の改新ですが、謀略がとびかっていたことだけは確かなようですね。
十二支が時もあらわしていることは理解していましたが、それはつまり方角でもあるということですね。勉強になりました。
by ぜふ (2013-09-29 10:51) 

mimimomo

今興福寺のHPを見てきましたが、猿沢の池までは何度か行ったことがありますが興福寺そのものは行かなかったような(ー"ー
by mimimomo (2013-09-29 11:49) 

ぜふ

追伸
そういえば、辰巳の方角なんていいますもんね(^_^;)
by ぜふ (2013-09-29 12:20) 

ゴーパ1号

私ももう一度、今度は母親を連れて行きたいと思っています。
後半の展示の時がいいかな。
いやはや、素晴らしかったですね!やはり本物は違います。
(これから超軽い記事を作るので、albireoさんの投稿リンク、貼らせて下さい。もし、ダメな時は削除しますので、ご連絡下さい。)
by ゴーパ1号 (2013-10-01 11:10) 

sakamono

500年後に発見されたというのも、またスゴイ話ですね。そういう未発見の
いろいろなものが、まだたくさん残されているのかもしれません。
十二神将、十二支、十二進法、なるほど面白いです^^。
by sakamono (2013-10-05 12:06) 

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