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阿修羅 彼方へのまなざし-2- [仏像]

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 それは惨憺たる戦場の夜景に違いなかった。しかしふしぎにそこからは戦うものどうしの恐怖も不安も感じとることができなかった。それは画に描かれた戦いに似ていた。静かな、最小の動きだけですべての作業がすんでしまう冷たい計算と冷酷な演出だけが、そこにはあった。


 「悉達多太子(しっだるたたいし)か」
 はためく極光(オーロラ)を背景に一人の少女が立っていた。
 「阿修羅王か」
 少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛を押さえていた。
 「そうだ」
 少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それに似つかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。
 「阿修羅王に問いたい」
 少女は、ふとかすかに眉をひそめた。その、あどけない面だちに、浮かんだものは、ひどくひたむきな心の働きと、それにふれたすべての人々を亡ぼしてしまうかと思われるようなくらい情熱だった。

                    光瀬 龍 「百億の昼と千億の夜」第三章 弥勒 より
                                       ハヤカワ文庫

 

 本好きの中には、先ず「後書き」を先に読むという人が、時々いるようです。実は、僕もそうなのですが、この「百億の昼と千億の夜」という小説も、書店で文庫本を手に取ると、先ず「後書き」を読みました。すると、そこには作者の光瀬 龍自身が「興福寺の阿修羅王像」が大好きだと書いてあります。もう、僕にはそれだけで充分でしたから、すぐさま本を持ってレジに向かいました。

 人類と宇宙の滅亡をテーマとしたこのSF小説に、僕は読み始めるとすぐに曳き込まれてしまいました
 「阿修羅王」の登場までには、百数十ページを読み進めなければなりませんでしたが、その登場シーンにはかなり驚いた記憶があります。「阿修羅王」が少女であるという設定が、思いもよらないものだったからです。しかし、驚きはしたものの、違和感は感じないままに読み進めたと記憶しています。

 この作品の「あとがきにかえて」と題した後書きには、「経典によれば」として、阿修羅王が乾脱婆王の美しい娘に恋をしましたが、娘の父親である乾脱婆王に受け入れられず、一旦は諦めたものの、やはり思い切れずに、乾脱婆王に戦いを仕掛け、終には帝釈天と果てしない戦闘を繰り広げることになったという物語があることが記してあります。
 光瀬 龍は、阿修羅にそうした物語があることを知りながら、この小説では、阿修羅を少女として設定しているわけです。その理由に就いては、後書きにはなにも書かれていませんが、「興福寺の阿修羅像」に少女の面影を見たのであろうことは想像できます。それは、とても興味深いことだと思います。
*ちなみに、光瀬 龍は「乾脱婆」に「がんだるば」のルビを打っていますが、「ガンダルバ」はサンスクリット語の読み方で、漢訳名の「乾脱婆」は、普通は「けんだっば」と読みます。そして、この「乾脱婆」は、「帝釈天」の部下でもあり、阿修羅が属している「八部衆」の一人でもあります。

 「百億の昼と千億の夜」は、文庫版の初版が出版されてから三十五年程が経っていて、著者も既に故人となっています。ですから、普通の書店の棚では滅多に見掛けませんが、まだ継続して版は重ねているようで、Amazonで確認すると、現在も新本で手に入るようです。

 この作品は女流漫画家の萩尾望都(はぎおもと)により、漫画化もされています。
 萩尾望都の漫画版は、一部を除いてほぼ原作に忠実に描かれており、こちらの「少女の阿修羅王」もまた、非常に魅力的な凛とした姿を見せてくれます。
 また、原作の小説には、物理学の法則や述語が散りばめられていて、文科系の僕は、時折立ち止まらざるを得ないこともありました。特に、「熱エントロピー」という概念が理解出来ず、読むのを中断して、熱力学の概説書を読んで、幾らか理解出来てから、再び読み始めるという状態でした。しかし、漫画版の方は、そのあたりもかなり理解しやすく描かれているように思います。

 尚、So-netブログ仲間のlapisさんは、ご自身のブログ「カイエ」のサイドバーにて、この漫画版「百億の昼と千億の夜」を「不朽の名作」として紹介されています。

                              一枚目の炎が燃え盛る写真は奈良・若草山の山焼きです。

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 さて、もうひとり著名な作家で、阿修羅に少女の姿を見ていた人がいます。

 「シバさんは、こういうひと、好きですか」
 藤谷氏が、阿修羅がのりうつったようなあどけなさできいた。
 「たれでも好きでしょう」
 凛とした顔でないと、この未分の聖はあらわせない。阿修羅は、正面のほか、他に二つの顔をもっている。いずれも思いを決した少女の顔である。
 「こういうひと、見たことありますか」
 「観た瞬間があると、たれでも」
 と、ここでたれでもを繰りかえした。
 「あるんじゃないですか。すぐれた少女なら、少女期に、瞬間ながら一度はこういう表情をするのではないでしょうか。それを見た記憶を―たとえ錯覚であっても―自分のなかで聖化してゆくと―少女崇拝の感情を濾過してゆくと―こうなると思います」
 なんだか演説しているような面映ゆさを感じて、その場を離れた。
 阿修羅は、私にとって代表的奈良人なのである。

               司馬遼太郎 「近江散歩、奈良散歩  街道をゆく 24」
                        奈良散歩 阿修羅 より  朝日文庫

 僕は、司馬遼太郎の小説をそう多くは読んでいません。
 その上、これまで読んだ小説のうち一番好きな作品が「空海の風景」という、多くの司馬ファンが最も敬遠しているらしい作品です。ですから、僕は決して司馬遼太郎ファンではありません。
 僕にとって司馬遼太郎の小説を読む楽しみは、物語の途中に、道草のように挿入される、かなり衒学趣味的な逸話等の文章を読むことです。その文章はやがて「それはさておき」とか「閑話休題」として、元の物語に戻るのですが、この「街道をゆく」等の紀行文やエッセイなどの文章はすべてがそれなので、僕にとっては、小説よりも面白いと思えます。
 
 それにしても、「少女崇拝の感情」とは、僕は思わず澁澤龍彦の本を読んでいるような錯覚を覚えました。
 しかし、上に引用した部分の前には、「少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘な表情が浮かべられている。」などとも書かれていますから、やはりどこか中性的なイメージも感じられていたのではないかとも思われます。
 

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 白洲正子の作品に「両性具有の美」という本があります。
 この本のハード・カバー版の表紙には、興福寺の阿修羅像の写真が使われています。
 
 しかし、目次を見ても阿修羅に関するような題名の章はどこにもありません。
 それでもこの本で、阿修羅に就いて触れている部分が、南方熊楠に関する論考の中に僅かにあります。それは、熊楠の手紙の中の一節で、熊楠が嘗て見たという「大日如来」の画像の美しさに就いて、「千年以上のものながら大日如来が活きおるかと思うほどの艶采あり…」と、書いていることに対しての論考です。

 この絵から私たちが直ちに連想するのは興福寺の「阿修羅像」で、ふつうの憤怒の相とはちがい、紅顔の美少年が眉をひそめて、何かにあこがれる如く遠くの方を見つめている。その蜘蛛のように細くて長い六臂(ろっぴ)の腕も、不自然ではなく、見る人にまつわりつくように色っぽい。

                           白洲正子 「両性具有の美」  新潮社

 僕は、この本のカバー写真につられて、つい買ってしまった、将に「ジャケ買い」というやつでしたが、どこまで読み進めても阿修羅など出てこないので、諦めかけたところに、やっと書かれていたのが、上記の引用部分です。
 こちらは、「紅顔の美少年」ですから、興福寺の阿修羅に少年の姿を見ているということですが、この文章の表現にもどこか、曖昧な雰囲気が感じられるようにも思います。

 「ジャケ買い」というのは、ご存じのとおり元々は音楽のレコードを、曲も演奏者も知らないまま、ジャケットのデザインだけで買ってしまうことですが、僕は表紙やカバーの写真が「阿修羅」であるということだけで買った本が何冊もあります。その他、美術全集や写真集などを含めると、僕は相当数の写真を持っていますが、どれを見てもアングルやライティングの変化により、阿修羅像の表情は微妙な変容を見せてくれます。更に、見る人の心の持ち様も加われば、阿修羅の表情は、より多くの変化の相を表わすような気がします。

 ですから、時により、人により、憂いを含んだ少年の顔にも、また凛とした美しい少女にも見え、また中性的という捉え方も出来るのではないかと思います。

 

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 もう12時を回ったので、今日ということになってしまいましたが、3月31日から、上野の東京国立博物館で、「国宝 阿修羅展」が始まります。
 本当は、初日に阿修羅に会いに行きたいのですが、流石にそれは無理なので、せめて週末位には何とか行って来たいと思っています。
 阿修羅に会って来たら、展覧会の記事を更新するつもりですが、今回に限り展覧会用の別ブログではなく、こちらに書く予定でいます。

 
 尚、前売りの状況などから、相当数の来館者が見込まれているようで、開始前から開館時間の延長が決まったということですから、やはり早めに行った方が良さそうです。

 「国宝 阿修羅展」に行かれる方は、東京国立博物館のサイトで、開館の日時等をご確認の上で、出掛けられることをお薦めします。URLは下記 ↓ の通りです。

 http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00

 

参考図書

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫 JA (6))

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫 JA (6))

  • 作者: 光瀬 龍
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1973/04
  • メディア: 文庫

百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)

百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)

  • 作者: 光瀬 龍 萩尾望都
  • 出版社/メーカー: 秋田書店
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 文庫
街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩 (朝日文庫)

街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩 (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1988/12
  • メディア: 文庫
両性具有の美

両性具有の美

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/03
  • メディア: 単行本

 

 

 


タグ:小説 阿修羅
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コメント 8

春分

とうとう今日からですか。
百億千億の話は出るだろうなと思っていました。
一つ一つ、1文1文、納得です。
by 春分 (2009-03-31 08:27) 

SilverMac

「阿修羅のごとく」、よく言われますが、単に、荒々しい仏ではないのですね。
by SilverMac (2009-03-31 08:33) 

mimimomo

こんにちは^^
見に行きたいですね^^
多分5月か6月になると思いますが。。。
by mimimomo (2009-03-31 13:23) 

penpen

大変な人気のようですね。
何度も行かれるのでしょうか。
「百億の昼と千億の夜」面白そうですね。

by penpen (2009-03-31 21:11) 

sanesasi

展覧会の阿修羅像をごらんになる前からの 導入記事からこんなに いろいろと
お教え頂きますと ぜひ行ってみたくなりますね
行く前にもう何度か こちらに伺って よく頭に入れておかなくてはと思っています
行かれた後の記事を拝見してからのほうがいいですね 楽しみにしております
by sanesasi (2009-03-31 22:14) 

lapis

僕の場合、『百億の昼と千億の夜』は、マンガ版→原作という邪道の入り方をしました。(笑)
現在でもこの作品は日本のSFのベスト10に入る作品だと思っています。
白洲正子『両性具有の美』は、僕もジャケ買いしました。(笑)あの表紙は、やはり反則だと思います。
阿修羅展の記事楽しみにしております。
by lapis (2009-03-31 23:59) 

gillman

あ、ぼくも時々「あとがき」から読んでしまうことがあります。

by gillman (2009-04-05 10:33) 

sakamono

非常におもしろいお話でした。「百億の昼と千億の夜」は週間漫画雑誌に連載されていたのを読んでいたはずですが、内容の記憶はおぼろげです^^;。こんな記事を拝見すると、また読んでみたいなぁ、などと思います。
by sakamono (2009-04-05 17:28) 

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