我が憧れの阿修羅 -3- [仏像]
インドの神話の世界では、恐ろしい鬼神であった阿修羅は、仏教に取り込まれて、仏や仏の教えを守る「護法神」 となりました。
奈良 興福寺の「阿修羅像」は、その護法神としての姿を造形した「仏像」です。
今、僕は「護法神」である「阿修羅像」を「仏像」だと言いましたが、「仏像」は、大きく分けて四つの種類に分類することが出来ます。
「如来」「菩薩」「明王」「天」が、その四つです。
最初の「如来」は、完全な悟りを開いて「仏」となった人で、歴史上の実在の人物としては「釈迦如来」のことになりますが、仏教の信仰上には「阿弥陀如来」「薬師如来」「大日如来」等、大乗仏教の展開の中で、想定された多くの如来が存在します。
「如来」という言葉は、サンスクリット語の「タターガタ」の漢訳語で、「真如から来たるもの」という意味から取られた名称とされています。因みに「真如」とは、すべての存在の真実の様相のことで、謂わば「真理」と同義語と見て良いと思われます。
実を言えば、本来の意味で「仏像」と呼べるものは、この「如来像」のことだけなのですが、現実には他の種類の像に就いても、「仏像」と呼ばれています。
また、如来像以外の他の種類の像を含めた場合、「仏教美術」という呼び方もありますが、それでは他の装飾品なども含まれてしまい、範囲が広がり過ぎてしまいます。ですから、一般的には仏教関係の像の総称として「仏像」という呼称が普通になっています。
次の「菩薩」は、サンスクリット語の「ボーディーサットヴァ」の音訳からの名称で、完全な悟りの境地に近づこうとしている人のことを言います。
しかし、「観音菩薩」や「地蔵菩薩」のように、いつでも如来の境地に入れるにも関らず、より多くの人々を救う為に、この世界にとどまっているという菩薩もいます。
「明王」は、真言宗や天台宗の密教に固有の存在で、その多くは憤怒形の恐ろしい表情をしています。それは、度し難い程の悪人でさえも救おうという、仏の慈悲を現わした姿であるといいます。
明王には、「不動明王」「愛染明王」「大威徳明王」「孔雀明王」等が存在します。
中でも、中心となるのは「不動明王」ですが、これは密教の世界では最高位の仏である、「大日如来」の化身とされています。
先に、「その多くは憤怒形の恐ろしい表情をして」いると書きましたが、「孔雀明王」だけは、穏やかな菩薩のような表情をしています。
さて、最後の「天」ですが、その多くはインドの神話の神々が、仏教に取り込まれたもので、「阿修羅」もまた、この分類の中に含まれます。この仲間には、「梵天」「帝釈天」をはじめとした、様々な護法神がいます。
また、「吉祥天」「弁才天」等の、日本で選定された「七福神」に取り入れられた神格も存在します。
中でも、「弁才天」は、本来は「サラスバティー」と呼ばれるインドの河の女神さまなのですが、日本に来てからは、お寺にも神社にも祀られるという特異な存在と言えます。
このように、「天」に含まれる仏像にも、独自の「御利益」を持っていて、単独で信仰されている神格もありますが、「阿修羅」には、そうした単独での信仰は見られないようです。
「阿修羅像」の最も有名な作例は、言うまでもなく奈良「興福寺」の乾漆像です。
勿論、他にも作例はあるのでしょうが、よく知られている像は数体に限られているようです。
一体は、奈良の法隆寺・五重塔初層に安置された塑像ですが、これは「釈迦涅槃像」に伴う作例で、釈迦の入滅を悲しむ群像の内の一体として造立されています。
菩薩や仏弟子・護法神、そしてネズミやヘビなどの小動物までもが、釈迦の死を悼んで集まり、嘆き悲しむ姿は、「仏像」としてよりも「仏画」として、大きな掛け軸に描かれることが多いように思います。僕も、何点かの「釈迦涅槃図」を観たことがありますが、そこに描かれた群衆の大抵は後方に、全身を赤く塗られた阿修羅の姿がありました。
よく知られている「阿修羅像」のもう一体は、京都「蓮華王院」の「二十八部衆」の中の一体として作られた「阿修羅王像」です。この像は、興福寺像とは異なり、恐ろしい憤怒の形相に作られています。でも、むしろそれは、阿修羅の本来の姿を現しているようにも感じます。
「蓮華王院」は、「三十三間堂」の通称でよく知られたお堂ですが、そこには千体の「千手観音」が祀られています。(尤も、その内の一部は東京国立博物館や京都国立博物館に寄託されています)
僕は、蓮華王院には、二度ほど行ったことがありますが、「三十三間」の長さがあるというそのお堂に、延々と並ぶ「千手観音」の前に立った、二十八体の異形の護法神たちには、なかなかの迫力を感じました。
興福寺の「八部衆」は、その造立時に「釈迦如来」の眷属として、お釈迦さまを守るものとして作られましたが、蓮華王院の「二十八部衆」が守るのは、「千手観音」とされています。また、「二十八部衆」の中には、阿修羅を含めて「八部衆」のメンバーの多くも含まれています。
「八部衆」と「二十八部衆」。いささかの矛盾や混乱を覚えますが、そこには「大乗仏教」の多様な展開の形が現れているようにも思います。
「阿修羅像」の著名な作例として、美術関係や仏教関係の書籍等に掲載されているものは、ほぼこの三例に限られているようです。そして、僕自身も他の作例を観た記憶は殆どありません。殆どと言ったのは、どこかの小さなお寺か、地方の資料館のようなところで、「二十八部衆」の小像の不完全な作例を観たことがあるような気もするからです。
でも、つい先日NHKテレビ・BS1 の、仏像を紹介する番組で、福島県会津坂下町にある「金塔山 恵隆寺」に「立木観音」と呼ばれる「十一面千手観音」の眷属として「二十八部衆」が、安置されていることを知りました。
番組の映像は、本尊を中心に捉えていた為、「阿修羅王像」の姿は一部分しか見えませんでしたが、全身を赤く塗られた「阿修羅王」と思われる像の一部が、ほんの僅かの間画面に映し出されていました。
機会があれば、何時かは行って見たいお寺です。
興福寺 南円堂
前の「阿修羅」の記事で、「脱活乾漆(だっかつかんしつ)」という仏像製作の技法があることに、少しだけ触れました。今回は、そのことに就いて、もう少し詳しく書いてみることにします。
それは、確か十数年ほど以前のことですが、興福寺の阿修羅像の前で、たまたま来合わせた修学旅行の中学生たちと一緒になったことがありました。
暫く阿修羅像を観ているうちに、一人の生徒が、阿修羅像は何で出来ているのかと、その材質を、引率の教師に尋ねました。その教師は、首を傾げながら考え込んだ後、おそらく木像であろうという返事をしたのです。
その時、僕は思わずその会話に口を挟んでしまいました。そして、阿修羅像の材質は木ではなく、「麻布と漆」であることを、大雑把にではありますが説明をしました。
僕としては、子供たちに間違った記憶を植え付けたくないという思いで声を掛けたのですが、何だかちょっと余計なお節介だったような気もしました。でも幸い、教師も生徒たちも、僕の説明に感謝してくれたので、それはそれで良かったのかも知れません。
普通、「仏像」の材質として、誰しもがすぐに思い付くのは、木や銅などだと思います。
ですから、その教師が木像と思ったのも、無理からぬことではあります。
「阿修羅像」と、その仲間である「八部衆」の合計八体の像と、「釈迦十大弟子像」の現在残されている六体の像の、合わせて十四体は、「脱活乾漆」という技法で作られています。
その技法には、前述のとおり「麻布と漆」が用いられます。
以下に、その技法を簡単に紹介します。
先ず、木材を組んで、骨格にあたる心木を作ります。
これに縄を巻いて、「塑土(そど)」を盛り、おおよその形を整えます。
「塑土」とは、粘土質ではない「山土」のことですが、これに籾殻や稲藁
などを混ぜる場合もあるそうです。
その上に、目の粗い麻布を、麦漆(小麦粉を混ぜて接着力を増した漆)で、
貼り付けて行きます。
「阿修羅像」位の大きさの像であれば、麻布は五層程度に貼るということです。
全体の形を整えてから、背面を長方形に切り取り、窓を作ります。
そこから、塑土を掻き出し、心木を取り出します。
この工程がある為に、粘性の強い「粘土」ではなく、容易に崩せる「塑土」
を用いると言う事のようです。
美術関係の解説書などで、「粘土」を使うとしてあるものもありますが、
そうした理由を考えると、それはどうもあまり正しい記述ではないようです。
塑土と心木を取り出したら、内面に布で裏打ちをし、新たな心木を組み入れます。
この時の心木は、必要に応じて、円盤状の板なども使用して、完成した像が型崩れ
しないように、本体との接触部分は釘を打って固定するそうです。
(「阿修羅像」には、円盤状の板は使われておらず、少し特殊な作りになっていると
言うことです)
心木を組み込んだ後、切り取った背面を、縫い合わせて閉じます。
次に、木屎漆(こくそうるし:麦漆に抹香や植物質の粉などを混ぜて、粘土状にしたもの)
を、本体の上に盛って、細部の形を整えて行きます。
最終的には、更に漆を塗って金箔などを張り付けたり、白い土を塗って彩色を
したりして完成させます。
かなり大雑把ですが、これが「脱活乾漆像」の作り方です。
このような方法で作られた、興福寺の「阿修羅」たち「八部衆」と「釈迦十大弟子」の、現在残されている、十四体の「脱活乾漆像」は、謂わば「張り子」の像なのです。
当然、重量も非常に軽く、例えば「阿修羅像」は、台座を含めても約25kg程度の重さしかないそうです。
ですから、いざとなった時には、多少非力な人間でも、担いだり抱えたりして、移動させることが出来るわけです。
それが、これらの天平時代の像が、何度も火災に遭って焼け出されながらも、現在まで残されている大きな理由の一つと言えると思います。
しかし、いくら軽量な像とはいえ、戦乱や火災の中からの救出は、大きな困難を伴ったであろうことは、想像に難くありません。
事実、八部衆の仲間には、胸から上しか残っていない像や、手を失った像もあります。
その中で阿修羅は、その美しい姿を今に保っています。それでも、合掌している手以外の四つの手にあった筈の持物(じもつ)は失われ、身に付けた天衣(てんね)の一部も、剥落しています。
鎌倉時代に描かれたとされる「興福寺曼荼羅」(国立京都博物館所蔵)によれば、阿修羅像の高く上げた手には太陽と月を持ち、中間の手には弓と矢を持っていたであろうことが推定されます。
それらの持物等が、火災や戦乱といった混乱の中で失われていったのだとすれば、今の世の中に、阿修羅像がその美しい姿を見せてくれていることは、やはり奇跡と呼んでも、過言ではないと言えると思います。
参考図書
おはようございます^^
仏像に4種類あること、少し(おぼろげながら)理解できました。でもまた忘れますが・・・
脱活乾漆と言う作り方も、少しわかりました~
今度から仏像を見るとき、また新たな見方が出来ると思います^^w
by mimimomo (2009-03-19 05:23)
興味深く読ませていただきました。「脱活乾漆」技法のことも初めて知りました。
by SilverMac (2009-03-19 08:36)
色々と勉強になりました!
by お茶屋 (2009-03-19 10:22)
まもなく 始まりますね なるべく早くに行って見たいと思っています
昨年12月興福寺の国宝館で拝した阿修羅像 東博では どういう思いで拝することになるか 興味つきません
仏像について興味深く読ませていただきました とってもお詳しくて 私など すべて如来様 菩薩さま みんな一まとめにしてしまって 仏様と言ってしまっております 一応理解はするのですが すぐ忘れてしまってほんとに恥ずかしいです
お写真懐かしく拝見 鹿のかわいいこと
先日近くのお寺に行きましたら この寺は何度も火事に遭いといわれ お寺はどうしてそんなに火災に遭うのかしら?と 言いましたらローソクや お線香から火災になりやすいといわれました 興福寺はまた別でしょうけれど 火災ほど勿体無いものはないですね
by sanesasi (2009-03-19 20:47)
問いかけられてる自分を感じます、美しい姿ですね。
by アルファルハ (2009-03-19 21:54)
仏像の分類や阿修羅の位置づけについては私もおおよそは存じておりましたが
こうしてまとめて頂くと、いざというとき辞典を参照するように見直せます。
いざ仏像について調べようというシチュエーションは具体的に思い浮かびませんが。
脱活乾漆については、丁度先週末だったか、詳しくテレビでやってましたね。
流し見ていたのでチャンネルも番組タイトルも憶えていませんが。
by 春分 (2009-03-19 22:39)
>阿修羅像の高く上げた手には太陽と月を持ち、中間の手には弓と矢を持っていた
無理とは分かっているのですが、その姿を見たいと夢想せずにはおれません。
どこかの研究室が、最新のCGを使って再現してくれることを期待したいものです。
albireoさんが、如何に阿修羅展を楽しみにされているか、伝わってくるような、素敵な記事でした。
by lapis (2009-03-20 19:41)
阿修羅像が来るのは待ち通しです!
大好きです
興福寺にも行きました。
最初はもっと大きいな像かと思いました。
顔がいいですよね~~
きれいな、正確なレプリカでも欲しいなと思っています♪
本は参考になります!
by sera (2009-03-20 19:50)
仏像は何となく見ているだけで、種類があるのも知りませんでした。
一度はしっかり勉強しなければと思いつつ。知識があればまた見る目も変わるのでしょうね。
「脱活乾漆」の詳しいご説明ありがとうございます。
by penpen (2009-03-21 22:45)