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「振袖火事」由来 後編 [歴史・伝説]

それは、明暦の大火のあった年から遡ること三年前、承応(しょうおう)三年(1654年)の出来事である。
上野の紙商大増屋の一人娘で十六歳の きのは、母親と連れ立って、菩提寺である本郷丸山の本妙寺へ墓参に出かけた。

その帰り道での事。
向こうから歩いてくる一人の少年の姿が、不意にきのの目に止まった。
恐らくは寺小姓であろうか、まだ前髪を伸ばした、元服前の十五・六といった年恰好の美少年である。
少年を一目見たとたん、きのの視界からは、周囲のすべてが消え去った。ただ、少年の端正な面差しと、身に纏った紫縮緬の振袖だけが、その瞳の奥に焼き付けられてしまったのであった。

家へ帰ったきのは、母親にねだって、紫縮緬の振袖をで誂えて貰う。
だが、きのはそれを身に着けるわけではなく、枕に振袖を着せて、夫婦遊びをしては、あの時の美少年の姿を思い起こして溜息を吐くばかりであった。

やがて、名も知らぬ少年への恋慕のあまり、きのはやつれ果てて、床に就くようになってしまった。
心配した両親はきのを問い詰め、漸くにして事の次第を知り、娘可愛さのあまりに手を尽くして、少年の所在を捜し求めた。だが、どこを訪ねても、少年の行方は知れなかった。

そして、翌年の承応四年一月十六日、焦がれ続けた件の少年に再び出会うこともなく、きのは短い生涯を終えたのである。
享年十七歳、余りにも早過ぎる死ではあった。

きのの葬儀は、菩提寺の本妙寺で、しめやかに執り行われた。
その棺の上には、きのが最期まで手放さなかった、あの紫縮緬の振袖が掛けられていた。

この年の四月、年号は明暦と改められる。

そして、月日は流れて、翌年の明暦二年。
きのの一周忌に菩提寺を訪れた両親は、そこで営まれていた本郷の麹屋の娘、いく の葬儀に出会う。

驚いた事に、その場に置かれた棺の上には、きのの持っていたものとそっくりな、紫縮緬の振袖が掛けられていたのである。
聞いて見れば、いくもまた十七歳で亡くなっていた。棺に掛けた振袖は、いくが古着屋で見つけて大事にしていた物だと言う。

そして、それは正しく きのが所持していた、あの振袖なのであった。

当時の寺では、葬儀などで寺に収められた物は、三十五日の法要が明ければ売り払ってしまうのが習慣であったという。つまり、江戸のどこかにあの振袖があったとしても、何の不思議もないということなのである。

だが、それで話は終わりではなかった。

更に翌年。
明暦三年一月十六日、それぞれの娘の法要の為に、寺を訪れたきのといくの両親がそこに見たものは、またしても十七歳の娘の葬儀であった。しかも、棺の上にはまた、あの紫縮緬の振袖が掛けられていたのである。

今度死んだのは、麻布の質屋伊勢屋の娘 梅野であった。
振袖は、店で質流れとなった物を、梅野がねだって貰ったものだという。

事ここに至って、亡くなった三人の娘の親たちは、この紫縮緬の振袖の持つ言い知れぬ因縁を思わない訳には行かなくなっていた。

親たちは互いに相談して、本妙寺の住職に事の次第を話し、振袖の供養を願い出た。

あまりの事に驚いた住職は、供養の日を一月十八日と定め、三組の親たちの立会いの下に、読経を行い、件の振袖を火中に投じた。

その時である。突然吹き起った一陣の風が、火のついた振袖を空中高く舞い上げた。
あたかも、見えない何者かがそれを着ているような姿で、振袖は一瞬天空に留まり、四方へと火の粉を撒き散らして、忽ちに燃え尽きたのである。

しかし、飛び散った火の粉は、そこかしこに燃え上がり、瞬く間にあたり一面を火の海に変えて行った。居合わせた人々は、ただ火の手から逃れるのが精一杯で、まったく手の施しようもないままに、寺は焼け落ちて行った。

無論、前夜から吹き募る烈風の中、炎は本妙寺を焼き尽くすだけで収まる筈もない。忽ちに周辺にも飛び火し、乾燥しきっていた建物はひとたまりも無く焼け落ちて行った。

これが、江戸の大半を灰燼に帰し、十万人もの焼死者を出したと言われる、江戸時代最大の火事である明暦の大火が、「振袖火事」と呼ばれるようになった由縁である。

くどいようですが、これは史実とは言い難い物語で、この話が流布し始めたのは、大火の後相当な年月を過ぎた頃と思われますが、実際のところ何時からなのかはよく解っていません。
後には、講談にもなっているそうですが、残念ながら僕は聞いたことはありません。

この話に登場する娘の名前には、種々異動があり、親の商売もそれぞれの本などによって一致してはいません。
他のところで、この話を読んだり聞かれたりされた方もいらっしゃると思いますが、恐らく内容にはある程度の差異があると思います。
僕も、下に挙げた参考文献を元に物語を纏めましたが、どの話にも多少の異同が見られます。
これは、初めから口承によって伝えられて来た話ですから、避けられない差異とお考え頂ければ幸いです。

この火事では、十万人以上の人命が失われましたが、あまりにも多人数の為、身元不明者も多く、幕府は隅田川の東岸に当たる本所牛島新田に、無縁者の埋葬地を用意しています。
ここに、被災した死者の供養の為に『回向院(えこういん)』が建立(こんりゅう)されました。

『回向院』は、正式には『諸宗山 無縁寺 回向院』という名で、基本的には浄土宗の寺院ですが、宗派にかかわりなく参詣出来るようにと、『諸宗山』の山号が付けられたということです。

この『回向院』は、現在大相撲初場所が開かれている国技館に程近い、両国の地に今も残されています。

ここには、江戸時代の戯作者として有名な、「山東京伝(さんとうきょうでん)」と弟「京山(きょうざん)」の墓や、義賊といわれている「鼠小僧次郎吉」の墓など、江戸時代の有名人の墓が、幾つも建てられています。

この『回向院』に就いては、また機会があれば記事にしたいと思います。
また、明暦の大火で焼け落ちてしまった、江戸城の天守閣に就いても、幾つかの興味深い逸話が残されていますので、それに就いてもいつか書いて見たいと思っています。

何時になく、長い文章にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

尚、文中の絵は、江戸時代に発行された『東都歳時記』という年中行事を紹介した木版本から採ったもので、明暦の大火とは関係ありません。

参考文献
 徳川実記 第四篇 厳有院殿御実記   国史大系所収 吉川弘文館
 むさしあぶみ  日本随筆大成 第三期   第六巻所収 吉川弘文館 
 新版 江戸から東京へ(一) 矢田挿雲     中公文庫版 中央公論社 
 江戸三百年(一)天下の町人 西山松之助・芳賀登編  講談社現代新書
 明暦の大火      黒木 喬                               講談社現代新書
  *講談社現代新書の二冊に就いては、どちらも昭和50年頃の出版の為
    現在は、絶版となっているようです。


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コメント 19

こんばんは。
実に興味深い面白いお話ですね。つい、ほんとうにあったのかしらっと、思ってしまうようなお話。ありがとうございました。
by (2006-01-19 20:42) 

春分

勉強になりました。振袖火事の名も、回向院も知っておりましたが、このようなお話があることは存じませんでした。
by 春分 (2006-01-19 21:38) 

sakamono

後編もおもしろかったです。「振袖火事」というのモノには、このような伝説があったんですね。非常に興味深く読みました。
by sakamono (2006-01-19 23:35) 

前後編、一挙に読ませていただきました。
とても面白い説話ですね。これをもとに何か面白い怪談を作りたくなるようなお話でした。
江戸時代からあった「美少年」という言葉を使っても、「美少女」という言葉を使わないところは、流石は、albireoさんだと感心しました。
by (2006-01-20 01:22) 

はてみ

うーむ、大作ですねー。おもしろく読めました。
江戸の火事というのは復旧が早かったそうですが、
寒波と吹雪におそわれてはそれもままならなかったでしょうね。
ところで、この回向院の門の屋根はかわった形ですね。
by はてみ (2006-01-20 01:30) 

じゅん

大きな事件や大災害から、生まれた話は多いんでしょうね。
突然の身内の死や散財の理不尽さに、理由を求めたものでしょうか。
by じゅん (2006-01-20 13:30) 

あやこ

振袖の名前からは想像できないような、大きな火事だったのですね...
火事はいつの時代も恐いものですよね...
こういった江戸のお話って好きだったりします^^
by あやこ (2006-01-20 15:32) 

ziziblog

名文にすっかり読みいってしまいました。三人の17歳の娘さんと紫縮緬の振袖。「振袖火事」には、そのようなお話があったのですか。ともあれ東京空襲、関東大震災、そして、明暦の大火をいれて江戸・東京三大大火といえそうですね。
by ziziblog (2006-01-20 15:42) 

Silvermac

ViolaMacです。
ほんとに一気に読んでしまいました。
明歴の大火事を「振り袖火事」と言うんですね。
「回向院」のことも分かりました。
by Silvermac (2006-01-20 16:52) 

m-tamago

前編同様また一気に読み上げてしまいました。
いわくつきの振袖、江戸の人々は目に見えないものに畏怖の念をもっていたのですね。
また江戸のお話、聞かせて下さい。
by m-tamago (2006-01-20 20:02) 

Runa

とても 面白く 読ませて頂きました。
三人の17歳の娘さんと紫縮緬の振袖何か 怖いような
また 悲しいような そんな気がしました。
その振袖で あのような惨事が 起こったことも 念のような
意思が働いたのでしょうか?
by Runa (2006-01-20 20:16) 

shareki

非常に興味深い話でした、よほどの因縁、怨念のこもった振袖だったんでしょうね。
何か後日談もありそうな話ですねぇ。
ずいぶん以前に出張で行った両国は、
国技館もあって、ちょっと雰囲気が違うと思いました。
by shareki (2006-01-21 10:28) 

atom

力作ですね。
振袖火事って初めて知りましたが、
とても興味深く読ませて頂きました。
by atom (2006-01-21 14:47) 

puripuri

江戸の大火があったのはまぎれも無い事実ですが、人々はその様にして
お話を語り継いで悲しみを癒していったのでしょうか、、、、。
by puripuri (2006-01-21 16:41) 

mippimama

昔、確かに聞いたお話です。。。
とっても興味深く読ませて頂きました。
by mippimama (2006-01-21 18:05) 

まい

とても興味深く読ませていただきました。
albireoさんは本当に話の組み立てがお上手ですね~最後の最後まで楽しく読めました!
by まい (2006-01-22 02:17) 

bellflower

albireoさん、こんばんは^^
「振袖火事」の物語、すっごく面白い逸話ですね。
謎の美少年、死の使いもしくは振袖の化身みたいですね♪
だから、身元がわからなかったとか?
興味深い記事、楽しく読ませてもらいました^^
by bellflower (2006-01-23 21:11) 

penpen

「振袖火事」のお話、恋に焦がれて亡くなったきのさんが哀れなような幸せなような。興味深いお話ありがとうございました。
by penpen (2006-01-25 19:13) 

barbie

ソネットが重くしばしご無沙汰しておりました。albireoのブログはきれいな動植物の写真だけじゃなく、こういう歴史のお話もあり楽しみにしています。うちの実家の過去帳は1696年から始まってるのですが、その頃のお話なのでとても興味深く読ませていただきました。昔のこと故、江戸のニュースがすぐに京都も伝わったとは思えませんが、今ならネットのニュースで知ったご先祖さんが「江戸で大変な事が起こってるね」なんて事になるんでしょうね。
by barbie (2006-01-26 11:58) 

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